ワールドカップと熊野古道

 和歌山県には、世界に誇る紀伊山地の霊場と参詣道という世界遺産があります。平たく言うと、高野山・吉野、そして熊野の三つの大社とそれらをつなぐ巡礼の道ということですが、和歌山に関してもっと平たく言うと、高野山と熊野古道ということになります。
 そのうち熊野古道は、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへのキリスト教の巡礼道(カミノ・デ・サンティアゴといいます。)と並んで世界で二つの本格的な道の世界遺産であります。

 紀伊半島の先端にある熊野地域は古来神々の宿る神秘の国として信仰を集めてきましたが、当然のことながら神話や物語がいっぱいあります。記紀によれば、この地は大和朝廷を開いた神武天皇が大和の地に向かう神武東征の際、大阪平野で苦戦し、南に転戦して、熊野の地に上陸した際、大和への道案内をしたとされる三本足のカラス八咫烏がお仕えする熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)が鎮座している地であります。私はよく熊野地域でカラスを見ると、よもや足が三本あるまいなとよく観察しているのですが、今のところお会いするに至っていません。

 一方、この地は、向学心に燃えるとともに、広く世界に目を向け、その文物に心を開いた若者を多く輩出したところでもあります。そのうちの一人、明治の時代那智勝浦町に生まれた中村覚之助青年は、東京高等師範学校に学び、勉学の傍ら、当時ヨーロッパで人気のスポーツ、サッカーに着目し、友と語らい、仲間を増やし、当時の駐日西洋人チームと初めてサッカーの試合を行ったと記録されており、これが日本サッカー発祥の時だとされています。こういうわけで中村覚之助さんは日本サッカーの生みの親として広く知られています。新しいものにどんどん飛びつき、人間の絆を広げ、外国人の中にも飛び込んで行ってサッカー仲間を広げる、「はじめは和歌山」、無から有を作り上げていく和歌山県人の心意気をよく表している事例ではありませんか。(余談ですが、この「はじめは和歌山」で世に大人気となったワーケーションは、和歌山県庁の青年課長が提唱し、白浜で始まりました。)

 その中村覚之助の故郷が那智勝浦町であり、そこには熊野三山と称する熊野三大社があり、その導きの神が八咫烏であることから、いつしか日本サッカーのエンブレムは八咫烏になり、常に日本代表ユニフォームの胸元を飾るようになったのです。
 そして、いつしか、日本代表チームが世界に羽ばたかんかという時には、日本サッカー協会の大幹部やときには監督や選手が必勝祈願に来られるようになりました。

 そして、今年も11月20日のカタールのワールドカップ開幕を前に、日本サッカー協会の田嶋幸三会長、反町康治技術委員長、宮本恒靖国際委員長がそろって、ワールドカップ必勝祈願にお見えになりました。10月26日熊野本宮大社を、川湯温泉でお泊りになったあくる10月27日には熊野速玉大社と熊野那智大社、那智山青岸渡寺を歴訪するというスケジュールでした。サッカーが大好きで(するより見るほうですが)、和歌山県のホスト役でもある私は、是非ともこのご一行に同行し、神前に額ずいて、日本チームの必勝を祈願したいと思いました。ところが、あろうことか、ものすごく多忙で、その一部しかご一緒できませんでしたが、10月26日の歓迎宴と10月27日の熊野速玉大社だけ同行させていただきました。(その後東京での和歌山県観光プロモーション「和みわかやま東京レセプション」に出席するために、白浜空港から飛び立ったので、熊野速玉大社しかご一緒できなかったのです。)
 田嶋会長らに負けぬくらい心を込めて熊野の神様に、「どうか、日本チームを勝たしてやってください」とお願いをしてきました。何せ今回の日本が入っているグループはドイツとスペインがともに入っているというとんでもないグループですが、磨き抜かれた技とみなぎる気力でこれを突破して、なろうことならかつての女子サッカーチームなでしこのように優勝してもらいたいと思います。
 そう申し上げた私に対して田嶋会長は今年の選手は心の底では本気でそう思っているのですよと言っておられました。2002年のワールドカップ日韓大会の際の韓国チームの大活躍のように、今度は日本チームが八咫烏のエンブレムを世界中に高くアピールしてくれると思いましょう。

 そう言えば、その日本サッカーチームに選ばれそうな久保建英選手のルーツはかなりの部分和歌山であり、その中でも特にこの八咫烏の地、熊野であります。おじい様、おばあ様がそれぞれ串本町、那智勝浦町で、御父上も筑波大学のサッカー部でならしたプレイヤーだそうです。久保選手は、10歳のころから海外にサッカー留学し、年少のころから天才プレイヤーとしてスペインのプロサッカー界で名を挙げている選手ですが、留学先が和歌山県とも熊野古道をきっかけに縁の深いスペインのバルセロナユースであったことなど、熊野の神々の縁を感じます。ぜひ活躍をしてもらいたいものです。

 全国のサッカーファンの皆さん、皆さんが日本サッカーチームのカタールでの活躍を願うなら、この際ぜひ熊野にお越し下さい。そして、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺に参拝されて、皆さんも必勝祈願をされたらいかがでしょうか。神武天皇が大和に導かれたように、八咫烏が日本サッカーチームと皆さんをワールドカップの勝利へと導いてくれるでしょう。そしてなろうことならこの熊野三山への道、熊野古道を何日もあるいは何時間だけでもお歩きになり、古の巡礼者の気持ちになり、疲れ切ってたどり着いた熊野三山へのお祈りは、もっともっと霊験あらたかなのではないでしょうか。

 熊野古道歩きの案内はわかやま観光|熊野古道・高野参詣道を歩く モデルプラン | 和歌山県公式観光サイト (https://www.wakayama-kanko.or.jp/plan-your-trip/model-courses/kumano-and-koyasan/)で。田辺、白浜から山越えの中辺路ルート、海岸美も楽しめる大辺路ルート、それに高野山から山中を南下する小辺路ルート、山岳修験の場でもある大峯奥駈道、そして伊勢神宮から続く伊勢路ルートとありますが、いずれも時間、スケジュールに応じてプランが自由に立てられます。古のゆかりをお聞きになりながらお歩きになるときは、いくつかの語り部の会の皆さんが同行してくれます。
 一時沈滞していた熊野古道の外国人旅行客は、これから急拡大していくことでしょう。国内のお客さんも熊野古道の持つ、精神性にひかれる方がどんどん増えています。中辺路、大辺路など多くの古道上のポイントでスタンプを押印帳に押せば、全部踏破の暁には私から完全踏破証明書を差し上げることになっています。

 初めに熊野古道はスペインのカミノ・デ・サンティアゴと並んで本格的な道の世界遺産と申しましたが、この縁で和歌山県とガリシア州、田辺市とサンティアゴ・デ・コンポステーラ市、和歌山大学観光学部とサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学との間で友好協力のお約束が出来上がっています。
 和歌山県では2024年が高野・熊野の世界遺産登録20周年であることから、様々なお祭りをして、国内外の皆さんに参加をしてもらおうと思っています。その際かつても行ったように、ガリシア州と協力して、二つの道の世界遺産を世界中にアピールしたらいいのではないかと思います。ちなみに前回は、日西双方の名写真家を選び、それぞれが相手方の世界遺産の風景写真を撮ってもらって、それをそれぞれの地元だけでなく、パリや東京という発信伝播力のある地で展覧会をやるなどの共同プロモーションを行いました。
 こういう努力もあって熊野古道ブームは特に西洋人の間でこの数年大爆発をしていました。これに触発されて、歴史や文化に興味のある方や熊野古道の持つ精神性を味わおうという日本の方もたくさんお見えになってくれるようになりました。ところが、コロナで本当につらい日々が続きました。しかし、そのコロナも段々と付き合い方がわかってきて、外国人の観光客にも門戸が開くようになりました。さあこれからです。ガリシア州との打ち合わせも再開しました。また世界中の方々が熊野に来られるように、またそのうちの一部の方々はサッカーの神様に日本チームの活躍を念じることができるように期待したいと思います。

 実は新型コロナで水をさされましたが、世界のメディアの熊野を含む和歌山県への着目は格段に高まっています。いろいろなところで発表されるランキングでも和歌山が様々な分野で取り上げられるようになりました。個人客を中心として展開されていくであろうこれからの観光で、世界中の多くの方々がこれらを参考に熊野を、和歌山を味わってくだされば幸いです。
 ちなみに近年和歌山県がいただいたタイトルの類を別添します。