もう一つのお別れのメッセージ

 私の任期もわずかとなりました。最後まで仕事をするぞと宣言したら、驚くべき多忙さで大変でしたが、さらに、今一生懸命やっているのは、岸本新知事がスムーズに滑り出せるように、引継ぎ関係の資料を丁寧に作るのと、引っ越しです。引継ぎについては、普通は各所管課で、丁寧かつ役人言葉の長い資料をどっさりと集めるということになるのですが、新任早々の人には、それを読みこなすのは大変です。そこで短いけれど、具体的に真実を隠さずに書いた政策集(案)を作っています。そこでは、政策を説明するだけでなく、時代背景とどうしてその政策をやるに至ったかという動機、目的意識をきちんと書くことにしました。県庁の職員もどんどん変わりますから、政策は続いているが、なんでそうしているのかが職員も説明がつかなくなっているということを知って愕然とした覚えがあります。そこでその辺をカバーする資料を作っているのですが、これは知事のみならず、すべての県民と共有すべき情報だと思うので、12月16日最後の記者会見で公表します。
 もう一つは、引っ越しと身辺整理です。身辺整理は仕事上のファイルはそのまますべて引き継いで、必要に応じて新知事が見てもらった良いのですが、結構私物もあります。今までずっと激職続きだったので、経済産業省時代からブルネイ大使時代まで重要な書類を持ち歩いていました。これからはスペースが小さくなるので、どんどん捨てて、本当に大事なものだけにしました。でもそれだけで、結構歴史の証人になれます。そして公舎の書類なども、同じようなものがありますので、どんどん整理をしています。でも、本当に忙しく、その暇がほとんどありませんので苦しんでいます。しかし、その中でずいぶん面白いなあと思うものが出てきます。

 その一つがブルネイ大使離任に際する大使メッセージです。ブルネイ大使館のホームページで大使メッセージを出していました。(今と同じですね。)その最後のものがお別れのメッセージです。県のお別れのメッセージはすでに「県民の友」にも載せましたし、ホームページにも載せました。面白いと思ったのは、同じようなことが、繰り返されるのだなあということです。あまり懐かしいので、本文は英語ですが、日本語訳を再掲して皆さんにお目にかけます。

『1ヶ月に一度このAmbassador’s Bulletin の欄で皆さんにお会いしてきましたが、このメッセージが私の駐ブルネイ大使としての最後のメッセージとなります。

2003年の8月に当地に参りましてから早や3年が経過しました。日本から命令が来て8月28日に当地を発つことにしています。3年間というと結構長いようですが、私にとってはあっという間の3年間でした。個人的にはもっと滞在していたいのですが、それは不可能です。

この3年間は私にとっては、とても楽しくエキサイティングな3年間でした。私がこの国に来た時、多くの外国人から、この国は静かで平和だが退屈だという意見をよく聞きました。また、ブルネイの人々も時々、多分謙虚な気持ちから、ブルネイは静かで退屈ではないかと聞かれました。とんでもありません。ブルネイにいるこの3年間私はとても忙しく、熱心に仕事するのと、楽しく人生を楽しむのに、退屈など感じている暇はありませんでした。

私が当地に来る前、日本の天皇陛下から信任状を頂きました。その時に陛下が直々に私に、 「ブルネイの国王陛下にお会いになったら、私が両国の良好な関係が益々深まるように願っていると伝えて下さい」と言われました。

他の多くの日本国民と同じように、私は天皇陛下を敬愛していますから、私は両国の関係が益々高まるように一所懸命努力してきました。日本を出る時はブルネイのことはそう多くは知りませんでした。しかし、当地に到着して、国王にお会いし、多くの国民の方々と混じわられて、握手をされるお姿を拝見して、これぞ caring monarchと大変感動を覚えました。国王の下で国政を司る多くの高官の方々も皆私に親切でした。日本とブルネイの関係が益々良くなるように、多くの高官の方々と協力して良い業績を上げ得たと思います。

日本とブルネイはもともと大変関係の深い国です。経済関係では石油天然ガスの輸出により、ブルネイは全世界からの外資の40%を日本から得ています。多くの日本製品もブルネイに輸出されブルネイの人々の暮らしを良くしています。しかし経済的な関係はそれがうまくいっていると、国民は相手国のことを忘れがちです。そこで私は就任以来、人と人の関係をもっと強化しようと思いました。大勢のブルネイの若者が笑顔で日本に留学するようになりました。日本語を習うブルネイ人も飛躍的に増えました。日本からは、伝統芸能、マンガ、マーシャル・アーツ、生け花、花火など多くの文化行事を誘致してブルネイ人に楽しんでもらいました。また、ブルネイの歌や踊りも日本の大劇場で披露されるようになりました。日本でのブルネイの人気も高まり、日本から観光客も増えました。

2004年には日本の皇太子殿下がビラ皇太子の結婚式に見えましたが、この時の良い印象は日本とブルネイ両国の国民の胸の中に深く残っています。

もちろん経済的関係もまた深まりました。まもなく、LNG以来の大外国投資が日本の企業によってメタノール生産の分野で行われます。また、日本は数少ない、経済連携協定(EPA) の相手国としてブルネイを選び、両国で今交渉が行われています。

第2に、ブルネイで感動したものは、その美しい自然です。私は蝶の専門家で natural historian ですから、その素晴らしさにすっかり魅せられました。

今私はブルネイ唯一の permitted researcher of butterflies です。帰国前の慌ただしさの中でブルネイの領土にどんな蝶が分布しているのかのレポート書きに勤しんでいます。また、ブルネイ博物館、UBDに3度目の標本寄贈をする準備もしています。

ジャングルのほかにも、私達夫婦はriver cruise、ゴルフ、テニス、サッカー、バトミントン、乗馬とたくさんのスポーツを楽しみました。本当にブルネイに感謝しています。ブルネイ人はこういう楽しみが多くあって幸せです。

第3に、私が当国で感動した事は人々の優しさ、良い性格です。人々は皆、親切で優しく、お陰で私達夫婦はブルネイで多くの人々と友達になれました。 驚くほど記憶力の良い人、本をいっぱい読んでいて本当に教養のある人、ゴルフが抜群に上手くいつも圧倒されっぱなしの人・・・。こういうたくさんの人々に共通なのは、親切な心と美しい笑顔です。とりわけ若い人々の美しい純粋な笑顔には、いつも感心しました。私はいつも言っていました。ブルネイの若者の国際競争力は凄いと。世界が益々狭くなる中で、英語で若い時から教育を受け、海外経験も広いブルネイの若者は、きっと世界で活躍できます。時々、ブルネイの人々は国土面積が狭いことを嘆きます。しかし、私は、これからのブルネイ人は、ブルネイの領土を越えて世界で羽ばたけると思います。と同時に、ブルネイを愛し、世界のどこにいてもブルネイの明日を思い続けてくれるでしょう。

私がいた3年間は、両国にとってとても良い3年間でした。しかし、私は悠久の歴史の中で両国は常にその友好関係を高め続ける2国だと考えています。その長い年月の中には片方の国が苦しい時もあるでしょう。別の時代には、もう一方の片方の国が苦しい時もあるかもしれません。その時は、もう片方の国が一所懸命相手の国を助ける。そういう関係に日本とブルネイがなるといいと思います。真の友人は楽しい時ばかりでなく、苦しい時も助け合うのです。日本はブルネイに対して、そういう気持ちでいつもいると私は保証します。そして、ブルネイもそうであって欲しいと私は期待しています。

皆さん本当にありがとうございました。

私の後任として、前駐ラオス大使をしていた橋本逸男氏が9月上旬に赴任します。 私以上に日本とブルネイの両国の友好関係の増進に貢献してくれると思います。どうぞ彼にも熱き友情と変わらぬ真心をお願いします。

ブルネイの皆さん、本当にありがとうございました。皆さんの永遠の幸せを祈ります。』