ロシアによるウクライナ侵攻もかれこれ1年近くになります。何せロシアは軍事面ではアメリカに次ぐ超大国ですから(そう我々は信じてきましたが。)ソ連が解体した時核兵器を放棄し、すべてロシアに譲り渡してしまったウクライナは、ロシアの軍事力の前にあっという間に攻略されてしまうだろうと思っていましたら、ウクライナが徹底的に抗戦して、ロシアの進攻が止まり、キーウに近い西側の戦線をロシアが放棄して、東側に集中してドネツク州とルハーンシク州を占拠してしまおうとしましたが、これもうまくいかず、特に昨秋にはこのウクライナ東部でもウクライナ軍の反攻が始まって、ロシア占領地域の一部が次々とウクライナの手中に戻るという事態になっていました。10月5日にはロシアは両州の独立を図り、親露の独立国を作り、さらにすぐにでもロシアに編入せんかという勢いでしたが、この独立宣言のあとロシアの撤退が進んでいます。
私は西側でニュースになる情報しか入手可能ではありませんが、ロシア政府や軍が発表するウクライナ戦争の状況は、それでも、ロシアが負けたとか、撤退したとかいう情報はほとんどなく、あいかわらず、ウクライナ人民解放のために着実に前進しているぞといったものばかりであります。
戦争の時は、国民の志気が衰えるといけませんから、どの国でも、特に戦況は100%自由に報道している国はないと思いますが、先の大戦で、それが特にひどかったのは日本であります。大本営発表としてラジオニュースなどが流されるのですが、ほとんどは勝利の報告ばかり、それも真実とはちがう、ウソの勝利報道でありました。ミッドウェーでも、マリアナ沖でも、レイテ沖でも、沖縄でも、敵の損害はものすごく、味方はわずかという報道ばかりでしたが、実際は大違い、空母3隻撃沈という時、本当は1隻の軽空母に損害が出たという程度であったというのがザラでありました。ほとんどの国民はこの報道を信じていたものと思われ、だから、終戦の詔勅が出た時はぼう然自失となったのだと思います。
大本営発表の撃沈空母が足し合わせるとものすごい数となり、いくら大戦中にエセックス級空母を30数隻作ったアメリカとはいえ、撃沈総数は米国の保有空母数を上回っているのではないかなどと考えた国民はまずなかったのではないかと思います。このような歴史的事実から政府や権威筋が真実でない都合のよい過大な発表をすることを「大本営発表」というようになりました。
ロシアがいまやっていることは、まさに大本営発表であります。また、中国もコロナで同じことを最近行ったと思っています。中国は、習近平政権が徹底してコロナを抑え込もうとしていて、それを習近平政権は目指すのだと宣言していましたから、オミクロン株の伝染力に負けて、えらい勢いで中国でコロナの感染が拡大しても、それをそのまま発表しては政権の政策遂行失敗となるので、言うわけにはいかなかったのでしょうか。そんなはずはないという過小な数字が発表され、そうこうしているうちに、感染者数の発表が途絶え、対策もまったくされないようになっているようであります。私はこれも一種の大本営発表であると思います。
では、大本営発表は何が問題でしょうか。「大本営」によって真実がかくされる結果、知らされる人々の志気が高揚することも期待できるし、そこまではいかなくても「大本営」たる政府等に対する批判は封じられ、暫時安泰ということになるのでようか。しかし、真実はいつか露見するはずだと思います。しかも今はインターネットで様々な情報が取れる時代ですから余計露見の確率は高まります。もしそうだとすると露見した時の人々の失望とそれに続く「だましていたな」という恨みはけっこう後々まで尾を引くでしょう。日本でも戦後GHQの作戦もあったのでしょうが、国民は政府のいうことを信じなくなり、戦前にドミナントであったものは無条件に悪だということになりました。その結果、これは昔も悪くなかったという考え方や制度まですべて破壊されつくされて、目下その反動で日本は呻吟することになってしまったと私は思っています。
さらに言えば、真実を明らかにすることによって、それを知らされる人の、解決のためのアイデアを出そうとする意欲や、新たな反骨心や、新たな志気や、求心力や、献身も期待できると私は信じます。
国民や県民は「都合の悪い真実」を知らされたとしてもぺしゃんこになるような、やわなものではないと私は思います。いくら為政者がかしこくても、為政者でない人に期待するものは0かというと決してそうではありません。私はそう信じていましたので、すべての投書に目を通し、各方面に耳を大きくして、色々なご意見を拝借していました。
ただ、組織というものは、トップの本心がどうであれ、組織防衛に走るものです。その典型的な手段は組織に都合のよいことは、大いに世に出して宣伝するが、都合の悪いことは、できるだけそっとかくしておいて、どうしても明るみに出さなければならなくなるまで、外に出さないというものです。
このように、組織には大本営発表のタネはいっぱいころがっています。
県知事時代、私はこれに対して「都合の悪い真実」は誰かが気付いて批判が起きるよりも前に、積極的に発表してしまおうという考えで県政を遂行していました。それは、もちろん都合の悪い真実も隠さないという正義感からでもありますが、長い経験の中で、都合の悪い事は自分から進んで発表した方が、組織の打撃は少ないという事を知っていたからです。隠していたものが露見すると、その時どうして隠していたかという批判が一般の人々からもマスコミからも大いに沸きおこります。この時、実は本当にばれるとまずいことなので必死で隠していたというケースはむしろ少なく、別にあえて発表しなくてもいいじゃあないかと思ってそうしていた時も「隠したな」という正義の怒りに火をつけてしまいますと、消すのは大変なのです。逆に世間の誰も意識になかった不都合な真実を当局が進んで発表したとすると、一時は「それは困る。けしからん。どうしてそんなことが起きたのだ。」といった批判はおきますが、それに丁寧に説明している間に、批判はおさまり、理解は進むということにもなります。組織の長たる私は当然「不都合なことを起こしてしまってすみません。」と頭を下げるのですが、それで命まで取るぞ(地位を追うぞということも含め)という事にはそうそうなりません。
私の知事就任時、和歌山県は官製談合で大変な悪名を着ました。私はそれを徹底的に調べて、もちろん再発防止のためのしかけ、システムをきちんと作るとともに、過去和歌山県はこんな官製談合をしていましたという事実を、別に誰に求められたわけでもありませんが、進んで世に発表しました。
そしてその中で、和歌山県庁は木村前知事の就任よりずっと前から独禁法に違反する建設の公共調達について談合の一端を担っていましたと公表しました。
具体的には、この公表資料では、県は大手ゼネコンと地元大手企業との組合せのいわば調整機能を果たしていたが、当初のそれは、銀行など他業種で言うところの護送船団方式に分類されるようなシステムであった。しかし、木村知事登場とともに、木村知事の個人的知り合いの利益誘導を図る私的なものに性格を変えるに至ったものであるということを説明しています。(公表資料ですから今でも誰でも読めます。)
ただ、こうして、知事逮捕というあれだけの話題となった事件についての和歌山県庁の関与をすべて公表したにもかかわらず、発表してからは世の反響はほとんどありませんでした。
同様な事実を私の県政16年の中で、実は片端から積極的に公表しました。行革プランに合わせて、いわゆる埋蔵金として当時関心の高かった特別会計や外郭団体の財政状況、すなわちいくらお金が貯まっているかを全部公表し、その上でこのお金は、県がこうなった時に使うために温存しとかなければなりませんといった対処方針を全部世に問いました。うんと最近では道路の改良と管理替えに伴う道路の照明の為の電気料金の県の過払いも、県内で誰も問題としてなかった時に進んで公表し、その後の対処に結びつけています。私によって県民の方に真実を知っていただいたというメリットはあったし、その故に、私や県庁が耐えがたい困難を背負ったことはありませんでした。
何事も公表し、そして問題は県庁も県民も共有して、皆で解を見出していく、そういう方針でずっとやってまいりました。私の声などロシアのプーチン大統領やロシア政府には届きますまいが、「大本営発表」に頼る危険性をはやく気がつくべきでしょう。