秘書

 私は昨年12月16日に和歌山県知事職を退任しました。しばらくは退任に伴う引き継ぎ、身辺整理、引越しなどに忙殺されていて、まだ本日に至っても整理作業は続いていますが、段々と様々な方々との交流が再開できるようになり、「社会復帰」を果たしつつあります。考えてみますと、知事の時もそうですが、それまでの立場でも組織をバックにしていましたので、その組織が組織として皆で大事にお世話してくれました。それがなくなってしまい、頭と体は変わっていないのですがこれは大変だと思うような事が多々あります。

 その中でも、秘書がいなくなってしまいましたのが大変の一つです。秘書という名のつく人だけでなく、県庁で言えば、秘書課などが組織的にバックアップをしてくれました。知事やその前の日本貿易会専務理事や大使や経産省幹部なども随分忙しかったのですが、そういう多忙なスケジュールがこなせたのは、広い意味での秘書機能が助けてくれたからであります。

 政府では、秘書の仕事をする人を「秘書官」と呼び、大変重要な役割を担っています。その中でも総理にお仕えする総理秘書官は、「主」の様々な仕事の段取りを整えたり、スピーチや会議の発言のおぜん立てをしたりと、なくてはならぬ存在ですが、時には「主」、に対しアドバイスをしたり、苦言を呈したり、お諌めしたりもしていることと思います。総理大臣は、言わずもがなですが、大変重要な職責にある人ですから、その人にお仕えする秘書官も大変で、本人の知力、識見のみならず、関連部署への睨みを利かし、調整の労もとることが多いと思います。したがって総理秘書官は年次の高い優れた官僚が任命され、私が課長補佐ぐらいの時は、課長ぐらいでしたが、今や局長から次官クラスという人がなっています。各省の大臣や副大臣、政務官もそれぞれ秘書官がつきます。これは、総理秘書官よりも若手ですが、大変有望視されている人が能力を買われて任じられることが一般的です。

 通産省の大臣秘書官というと、大臣の最側近として、省内外のあらゆることに目と耳をそばだて、大臣の仕事がうまくいくように大変な力を発揮します。私も課長などをしている時、大臣秘書官と色々と打合せをして、大臣の御活躍のサポートをするのですが、どの大臣秘書官も一生懸命大臣を守っていて、まごまごしている局長や課長を随分先輩であっても、怒鳴り飛ばすようなことが往々にしてありました。また大臣のなさる事を全部理解している必要がありますから、会議の陪席はもちろんのこと、夜の酒席にも大臣が「今日は政務だから君は帰りなさい」と言われない限り、常に加わっているという存在です。逆に大臣秘書官を同席させないようなロジのプランを作ろうものなら、彼は大激怒となるでしょう。

 県庁においては、この秘書官に当たる者が随行秘書といわれる存在です。夜宿舎に帰るまで、ずっと知事に随行して、知事が必要とするあらゆることをサポートしてくれます。歴代とても有能な人が選ばれることが多く、そういう人は、知事の習慣や好みや交友関係を理解するとますます有能になっていきますから、過去には知事が離してくれなくて、6年も8年もずっと務めた人がいます。

 私も知事になって、優秀な随行秘書を推挙してもらったのですが、この随行秘書の人事をどうするか随分考えました。確かに私から見ると気心の知れた随行秘書がついてくれると便利でよいのですが、どうも和歌山県における随行秘書の扱いについての慣行と雰囲気を考えると、政府の大臣秘書官のように考えない方がいいなぁと思うようになりました。というのも和歌山県の随行秘書のステータスが政府の秘書官よりずっと低いからです。例えば、酒席や懇親会などには、大臣秘書官は必ず呼ばれて大臣のそばにはべっていますが、随行秘書は呼ばれず、いつも部屋の外で待っているのが通例です。それにとりわけ優秀な人材は将来の県庁の柱石ですから、随行秘書の仕事以外にもたくさんの仕事を経験させて、幹部としての能力を高めていかねばなりません。そういう優秀な人を、世の中であんまり高く評価されていない随行秘書として長く置くことは、知事としては有能な人に世話をしてもらえるから楽かもしれませんが、本人にとってはそれほど良い経験をしたということにはならないかもしれないと私は思いました。それから、随行秘書も人間です。24時間、365日、職務優先であるべき知事とずっと同じ行動をしていたら、随行秘書の生活もなかなかつらいものがあるでしょう。知事は選挙で選ばれた一人しかいない存在ですから、覚悟して滅私奉公、全責任を一身にという生活を送るべきでしょうが、随行秘書にずっとそれに付き合えというのも気の毒です。政府の秘書官のように自他ともに権力を持つものとして認められていたら仕方がないでしょうが、和歌山県の随行秘書のようにまわりからもそれほど重んじられていない随行秘書に、すべてに犠牲を払えというのは少し酷であります。

 そこで私は、和歌山県における随行秘書をめぐる環境、風土を変える、すなわち「もっと随行秘書を重んじてください」と、民間の方々にお願いするのは無理だから、随行秘書の任命方法を変えることにしました。優秀な若手職員を登用するということは不変ですが、まず任期を1年と定めました。毎年替わりますから、私としては、色々教え込むのが大変ですが、私の生き様を近くで見てもらった人が一人でも多くいた方が県庁にとってはよいという考えでした。次に、同時に2人を任命して、1週間当番として頑張ったら、次の1週間は日程担当者の補助として少しお休みさせて、夜などは家族サービスをきちんとせよということにしました。また、そういう2人の随行秘書のうち1人は従来通り事務系(一般行政)の職員とし、もう1人はいくつかある技術系の職種の中から選ぶことにしました。県庁の職員の半分は技術系の職員ですが、私以前の時代は、わりと要職は事務系職員のみという状態でありました。彼らは事務系の職員と同じように優秀で、同じような重要な仕事をこなしているわけですから、そういう技術系の職員に、知事という県政についてあらゆることを引き受けなければならない人の仕事を見せることは、その人の将来にきっと役に立つと信じたからであります。こうして、仕えてくれた随行秘書は1年目は1人でしたが、2年目からは2人ずつ、16年間も知事をさせていただいたので、全体で31人にのぼります。この歴代の随行秘書が、私の退任に際して(まだ多忙になる直前)秘書課の職員と共に歓送会をしてくれました。一人一人との思い出がいっぱい詰まった会となりました。本当に頑張ってお世話をしてくれて、至らぬ私に尽くしてくれてありがとう。癇癪を起して叱責したこともあり、偉いと言って褒めたり、からかったりしたこともありました。16年前からといってもまだまだ若い随行秘書OBの、県庁の職員として成長しているのを目の当たりにして心温まる思いでありました。

 また、秘書という名のつく役職の一つに、地方公共団体には政策秘書というものがあります。総理秘書官も大臣秘書官も政務の秘書官がいて(実は制度上こちらが本当の秘書官で、職員から選ばれた事務の秘書官は、正式には秘書官事務取扱いといいます。)、これに匹敵する役柄だと思います。これは他の人と違って、一般職の公務員が禁じられている政治活動をしてもよい特別職の公務員で、選挙で選ばれている地方公共団体の首長の有権者との関係、選挙対策など、行政と切り離した狭義の政治活動も行います。私は、この政策秘書は置きませんでした。県下の市町村もこの役職の人を置いている所とそうでない所があります。同じ市でも置いた首長と置かない首長があります。法律上許されていることですから置いてもいいのですが、何故置かなかったかというと、私はもともと行政から離れた政治活動にそう熱意を感じなかったこともありますが、行政という純粋に「公」の世界に自らの政治活動という「私」の存在を、しかも県の公費で置くのは、どうも自分の美意識に反するなぁと思ったからです。私は首長にとって行政をしっかりやるのが政治のすべてだと思っていて、それなら、一般職の県職員を行政の各分野に登用して彼らに頑張ってもらえばいいだろうと思ったからです。その方が職員も100%信頼してくれているようで、気分よく働いてくれるのではないかとも思ったからです。

 しかし、人の考え方はそれぞれで、和歌山県では木村知事も政策秘書を置いていましたし、それ以前にも置いた知事もありました。もっとも過去の和歌山県の場合、政策秘書となった人は職員の中の大物で、知事公室長といった肩書で、今の知事室長(一般職)のような仕事をしていました。岸本新知事は久し振りに政策秘書を置きましたが、それはお考えあってのことだと思いますし、法律的、制度的に許されていることでありますので、私にあれはどうかと言われた方もいらっしゃいましたが、それを非難することは当たらないと思います。実際に任命された末次さんは、岸本知事が国会議員の時から彼にお仕えしている、実に人柄の良い方で、私も知事時代、議員秘書として随分お世話になりました。

 このように秘書というのは、その司々で様々な名称があり、様々な機能を果たしながら「主」に仕えてくれています。そういう秘書機能を最大限に使いながら、総理や大臣、首長も自らの仕事を最大限効果的に行っていくものであります。ただ、秘書や秘書官がオートノマスに機能できるはずはなく、彼らを生かすも殺すも要は「主」の心の持ちようと器量にかかってくると思います。