何ちゅうことをするか

 たまたま東京にいた4月15日、和歌山の友人に電話をしたところ、大変なことですよというのが第一報でした。聞けば、和歌山に遊説中の岸田総理が襲われたとか。びっくり仰天でよく聞いたところ、命は勿論お怪我もなく、雑賀崎の漁港で事件があった後駅前にお元気な姿を見せて引き上げられたとか。不幸中の幸いでしたが、私はその後テレビに釘付けになってしまいました。犯人は兵庫県の若者で、パイプ爆弾のようなものを点火の上総理めがけて投げつけたそうで、その場で取り押さえられてから、また総理が避難されてから暫くして爆発したところが映像に映っていました。安倍総理の遭難の教訓を生かしてSPの方々も防護盾を開いて総理を守っているところが写っていましたが、一方投げつけられたものがまだ未処理で転がっているのに聴衆を避難させなかったという謗りを受けているのは、いつもよく頑張っている和歌山県警の関係者がお気の毒でした。一方犯人に飛びかかってヘッドロックをかけて押さえ込み二発目の点火をさせなかったというお手柄の方は雑賀崎漁民の面目躍如というところだと思います。
 それにしても、岸田総理が後で言っておられるように、爆弾を投げつけると言った暴力やテロで大事な選挙を汚し、言論の機会を奪うなどもってのほかであります。犯人は今のところ黙秘しているようですし、事件の動機や背景についての情報はありませんが、一見まともそうに見える犯人が簡単に爆弾をつくって、簡単に総理のような重要人物に投げつけるということは何ちゅうことかと思います。爆弾をつくれるような技術と能力があるような人ならば、正業で頑張ってくれればどれほど人のためになるだろうにと思うのは私ばかりではありますまい。岸田総理に不満があれば、堂々と意思表示をして、正当な手段で戦えばよい。世間に不満があっても、だから爆弾を投げつけてよいというものではない。目的が正しいと思われても(今回のケースではその可能性を少しでも言いうる人はいないと思うけれど)、手段もまた正しくなければいけないのだと言うことを、どうも我々は忘れがちになって、若い人にも言い忘れているのではないかと私は改めて思いました。願わくは、世の評論家のような人が、マスコミやインターネットを通じて、この犯人にも犯行に至った評価すべき背景があるのだとか何とか賢しらな正当化をすることは是非やめて頂きたいと私は思います。