行政における改革

 牧原出さんの「崩れる政治を立て直す」を読みました。上梓は2018年9月ですからまだ安倍政権の時の本で、すぐに購入したのですが、知事職の多忙にかまけて積ん読になっていたのを一つ一つ読み返しているものの一つです。
 いきなり「はじめに」で、胸に響く言葉に会いました。「改革案をつくるときに、制度が動き出したらどうなるか、という問いに考えが及ばなかったのではないか--それが本書の根元にある考えである。」
 本当にその通りであると思います。元々政府の役人で、その後大使を経て、地方の知事をしている間ずっと、私は自分の仕事上も常にこの言葉の意味するものを意識して毎日を過ごしていましたし、政府の施策に関しそうでないケースに多く遭遇し、いつも切歯扼腕していました。
 それではそういう欠陥制度は改めたらよいのかというと、牧原さんはもっと恐ろしい真実を指摘します。「制度の動かし方も考えずに、制度改革をした“つけ”が回っているからといって、今となっては制度を廃止すればすむわけではなさそうだ。面倒な制度も既に他の制度との間で固く結びつき、制度のセットに組み込まれているとしたら、一つの制度を変えるにしても、その動き方の全体を予想しておかないと、さらに面倒な事態になりはしないだろうか。」
 このようによく考えない改革は様々な不都合を生むばかりか、いったん出来てしまうと後戻りさえ容易でないことになってしまいます。したがって一時の興奮で後先のことを考えないで、あるいはひょっとしたら改革の中身さえも自らも理解すらしないで、改革派を気取ることは危険です。別に改革派でなくても制度の直すべき所はどんどん直せるのですから。
 牧原さんは日本の現代政治史の中で以上のように改革の功罪をどんどん分析をしていくわけですが、私は実務の世界にずっと身を置いていた人間として、自分が経験したこと、思ったことを上記の大きな指摘の実例として、いくつかのパターンに分けて紹介していきたいと思います。

1.まず改革があってその作動を考えない例が最近の政府の改革と目される政策に沢山見られることを強く感じます。
 私達が役人をしていたときは、牧原さんも指摘されているように、「制度の改革者通産省」ですから、新政策の検討の時など、人の省の所管制度も含めてああすべきだ、こう改めろと百家争鳴の感があるのです。しかし、その時は必ずその制度改革はどうやったら出来るのかということと並んで、もしそれが出来たらどうなるんだ、どんな影響が出てくるのか、そういう副作用はどう克服するのだといった点はものすごく詰められて、その詰めに合格しない政策案は実現などしなかったという記憶があります。
 しかし最近はどうも違うみたいです。今のような詰めを熱心に考える人は差し詰め守旧派に分類されて迫害されるかもしれません。それが牧原さんの当初の指摘につながっているのではないでしょうか。
 実例を挙げます。
 電力や通信の自由化です。
 和歌山のような中山間地域を多く抱えている地域の行政の責任者にとって、田舎で人が少ない地域にもどうやってライフラインを確保するかということが大問題です。ユニバーサルサービスの問題です。しかし、最近の改革ではこの問題に最期まで答を出すことなく、取りあえず競争の導入と自由化の改革を進めて、そのようなユニバーサルサービスについては誰がその費用を負担するかという難しい問題は取りあえず棚上げした上で、今後の状況を見て後で抜本的に考えることにし、それまでは古典的公益事業理論に従ってサービスをしていた従来の独占企業が当分の間その提供サービスの任に当たるというものが多く存在します。しかし、和歌山県のみならず、全国至る所で過疎が進み、そのようなところにライフラインを提供するコストはかさみ、どんどん全体の経営を圧迫していきます。一方新規参入者の方はこのコストを負担せず経営が出来るわけですから、素人目にも不公平感が漂います。かつて蓄積した従来の独占企業の利益を当分の間はき出してもらえばいいという考え方もあるかもしれませんが、かつての独占期にも、美味しい人口密集地では稼ぎながら、その利益は過疎の地域に対するサービスで埋め合わせをしていたはずで、それを規制でコントロールするというのが古典的公益企業の理論であり、政府が厳しい規制をする根拠にもなっていたはずです。もしそれでもたっぷりと独占利益が蓄積されていたとすれば、それは規制当局の規制の中身が甘かったという事になるはずです。したがって、自由な形の新規参入を認め、サービス提供地に過疎地を選ばなくてもいいというのであれば、私なら、基本的にユニバーサルサービスに要する費用を新規参入者に負荷して、それを旧来の独占企業に移転する代わりにユニバーサルサービスを義務付けるというような制度を設計するのだがなあと思います。それもそのうち状況を見てというのではなくて、制度設計のはじめから。そういう制度が出来たら例えば過疎地はどうなるというような事をはじめから考えて改革をするということが必要で、それが制度の作動まで考えて改革をすることだと私は思います。私は行政制度を作る時に大事なことは、一つのことをやろうとすると起こりうる影響をよく考えて、その影響に対する対策を用意しておくか、それが出来ないのなら当初の案をそれが出来る形に変容させることだとおもっています。言葉がいいかどうかは分かりませんが、私はこのことを「系が閉じるように構想する」ことだと内々思っています。

 思えば、このような風潮を最も表していた考えが、かつての民主党政権が盛んに標榜していた「社会実験」だと思います。私は自然科学者ではありませんが、実験の何たるやぐらいは分かります。本来実験室の中で、しかも厳重なプロセス管理の下に行われてしかるべき実験を、生身の人間が生きている社会全体を舞台に、しかもいきなりはじめから全面的にやってしまうというのはなんたる暴挙かと、当時から私はこの言葉を批判していました。しかし、ひとたび改革の嵐が吹きすさべば、マスコミ世論は、改革は何でも歓迎、社会実験など理想的な改革意欲を表すことだと礼賛の嵐で、私が和歌山県のメディアでぶつくさ言っていても全く返り見られることがありませんでした。そのおかげで、全国的に高速道路の料金がどれだけ走ってもほとんど同じぐらいに安く引き下げられた結果、高速道路の充足が進んだ所と進んでいないところで、急に有利不利の関係が変化した一方、未整備の高速道路を整備する財源が失われて、高速道路の充足が進んでいなかった地域の高速道路建設が財源を失って止まってしまうという事態が起こってしまいました。それも社会実験だからというのでは、社会実験というのは思考停止を正当化する手段かとさえ、私には思えたものでした。

2.次に和歌山県の例で、牧原さんが指摘したいったん制度が出来てしまった場合の恐ろしい影響を申し上げます。
 私は2006年の末から和歌山県の知事をやらせて頂いているのですが、ちょうどその直前に行われた改革が、県立高等学校の学区の全県一区化と中高一貫教育です。(一部は前から計画されていて実施が私の知事時代のものがありますので、私自身も責任がないとは言えません。)私の子供時代は、和歌山県の学区は、和歌山市と各郡ごとに分かれている、いわば「中学区」で、その結果、和歌山市にもいわゆる進学校があるけれども、大きめの地方都市にも同じような進学校があり、生徒は学力に応じて学区内で学力相当の高校に通うという形でした。人口分布に応じてどの進学校にも一定の秀才がいますから、たとえば入試最難関大学にも地方の進学校からも結構入っていました。ところがその後、和歌山市に私立の進学校がいくつも出来ました。それに加えて全県一学区制度により、地方都市の進学校が秀才を集めることが難しくなりました。我こそはと思う人は通学に何時間もかけて、または下宿をしてまで和歌山市の私立または県立の進学校に通うということが進みました。この子供達の負担も大変ですが、私が恐れるもう一つの問題は、現に地方都市の学校に通っている生徒が、自分たちは、和歌山市の私立、県立の進学校に行けなかった「落ちこぼれ」かと思い込んでしまうことです。高校になってから学力が伸びる子供もいますが、そのためにはその子供が自らを卑下するような心を持っていてはいけません。そう思わせるような作動が起きかねない制度改革だと思います。聞くところによると、私立の進学校が優秀な生徒を集められているのは学区がないということと、後で述べる中高一貫教育のためだ、私立に進学で負けている県立高校の復活のためには、県立側でもこの制度を取り入れないといけないという改革動機が働いたとのことでした。私は進学の結果だけで私立への対抗ばかり考える必要もないのではないか、それぞれ特色のある教育をすれば自ずと生徒が判断して自分の行きたいところに行くのではないかと思っていますし、その結果私学の方が有名大学にたくさん入ってもいいではないかと思っているのですが、当時の改革者達はそうは思わなかったのではないでしょうか。そこで起きた副作用は地方の進学校の地盤低下とそこに残った生徒達のマインドの低下の恐れです。
 中高一貫教育はもっと大きな影響を社会全体に与えると思います。私は中高一貫教育はそれ自体としてはいいものだと思いいます。そこに通えることになった生徒はハッピーだと思います。しかし、それ以外の生徒はどうでしょう。中学の頃から、秀才は私立の進学校に取られ、県立の進学校に取られたら、一般の公立中学校に通っている子供達は自分たちをどう位置づけるでしょう。またしても自分たちは「落ちこぼれ」だとは思わないでしょうか。もしそういうマインドにとらわられたら、その子供の成長は随分阻害されるのではないでしょうか。私は、学校教育の目標は勉強の出来る生徒を大事にすることではなくて、勉強の出来ない子をいかにして自信を失わさないで立派に育てるかだと思っています。勉強の出来る子は学校がかまわなくても勝手に勉強をするものですから、放って置いてもよい。むしろ、どうやって「落ちこぼれ」になりそうな子供を救うかの方がもっと大事だと思いますから、和歌山県の行ったこの教育制度改革はあまり気に入っていません。
しかし、私はこの改革を元に戻すことはしませんでした。いったん制度が出来たら、人々はそれに合わせて行動し、その結果、牧原さんの言われる「制度のセット」になってしまっているために、それを簡単に壊せないように思ったからです。このような「制度のセット」を壊すとまた新しい不都合が起こることを懸念したからです。具体的には新制度の下で一学年一学年と新しい進学者が登場して来ますし、ずっと年の若い子供達も保護者の方々も新しく出来た制度を前提としてこれからの進路設計をしていると思ったからです。ただ、和歌山市の公立中学校の荒れたクラスのことや、地方都市の進学校がかつての威光を失っていると聞くにつれ、私が再改革にふみきらなかったことが正しかったかずっと悩んだ16年でした。それでも私は制度を元に戻すことに踏み出せませんでした。代わりに、先に述べた新制度に伴う作動としての様々な不都合を治癒するための施策の強化に取り組んできました。荒れた学校に対処するために行った、スクールカウンセラーや警察OBの配置とか
学力向上のための先生全員の研修とか、いじめ対策とか沢山あります。でも制度を元の戻すべきだったかなあというのが私の頭から離れません。

3.一方、制度改革に当たって作動についても最大限考えてそれを行った上に、さらに何年もかけて微修正を重ねて、制度的安定を見ているものに和歌山県の公共調達制度があります。
 そもそも、私が知事になったいきさつは、木村良樹前知事が官製談合、独禁法違反、贈収賄の科で逮捕、辞任に追い込まれたからで、したがって、このようなことが二度と起きないような制度改革をするというのが私の第一の使命でありました。普通はこういうときには政治家は「断固として命に替えてもこのようなことは起こしません」という心を打つ演説をぶって対応をするのですが、このように人の心構えに頼るのではなく、制度を作ってどんなよこしまな人が地位に就こうとも悪事を働けないようにするというのが正しいと、私は考えて実行に移しました。そのため、郷原信郎教授を座長とする少数精鋭の検討会を作って、自分も参加させて貰って、短期間で新しい公共調達の成案を得ました。それをこれまたきわめて早期に実施に移したのです。このときの世論は、全国で明るみに出た建設官製談合事件がショックだったからでしょうか、建設業界悪者説一点張りで、落札価格は安ければ安いほどよい、徹底的に競争させて建設コストを引き下げろというものでした。そして、またしても、これに和して建設業界を締め上げると表明している人が人気を博するという構図でした。しかし、そんなことをしたら、自然と公共工事の質が心配になりますし、建設業界が地域の雇用にどれほど貢献しているかという点も忘れてはなりません。建設業界の優勝劣敗が進みすぎると災害の時など地域で頼る人がいなくなってしまいます。(実は郷原さんに座長をお願いしたのは郷原さんがこの点をよく理解しておられたように思ったからです。)実は徹底的に調査したところ、和歌山県がずっとやっていた官製談合はいわばそれ以前に日本にいっぱいあった護送船団方式の一つの形であったということも分かりました。(違法、適法の別はありますが。)それを前知事一派が私的に利用したのでした。しかし、独禁法違反の制度を続けるわけにもいきませんので、談合は一切出来ない適法な制度を作り、一般競争入札を全面的に導入して県の事業費の削減を図るが、建設業界が適正な利益を上げられるようにするとともに、各地域の建設業界が適度に存続出来るように、入札制度の設計に当たっては適切な地域要件を課し、さらに各種の総合評価方式を採用しました。特に和歌山の特徴は、通例巨大プロジェクトに採用される総合評価方式をごく少額の公共調達にも採用したことで、このため「簡易型公共調達方式」と名付けた方式を採用しました。たとえば地域の少額発注は、一般競争入札下においても当該地域の建設事業者がより受注出来る機械が増えるように地域点を与えることにしたり、工事実績がよい場合はその分次の入札時に加点したり、県産品を多用している業者には加点したり、ただの安売り合戦で建設業者が疲弊してしまわないようにしたのです。また、法や条約の許す限り、県内事業者を優遇することも制度にビルトインしました。
 このように県内事業者を悪者にせず、地域の重要な産業として重視する意図を持って作った制度でしたが、制度発足時はこのことを理解してくれる事業者と、悪評たらたらの事業者が別れました。おそらく後者の事業者は、従来のように談合をしておけば別に経営努力をしないでも生きていけるのに、頭でっかちの新知事が変なものを作って大変だというのが実態であったと思います。その不満がほぼ解消されたのが私が再選されて二期目に入ってからだと思います。もちろん慣れた、もうこれしかないと諦めた、意外にいい制度だとやっと理解したということもあったと思いますが、実は実施状況を見て、私と規制実務を担当している県土整備部の諸君で常に業界の不満を聞いて、それを評価し、驚くほど何回にもわたって制度の微修正をしたというのも大きかったかなと思います。たとえば簡易型総合評価方式の加点が大きすぎたら、ある地域企業群による事実上の落札の独占が起こるので、加点ウエイトを減らすといった微修正をいたしました。中には、この加点だと統計的にほとんどすべての入札である企業群が勝ってしまうではないかという鋭い指摘をしてくれた人もいて、私はすぐにその通りだと分かったので、直ちに制度をあらためて、統計的に有効な競争が出来るようにしました。また、制度の最初に乗り遅れた業者は、実績加点が受けられず、以後常に県の公共入札から排除されるという訴えも多くあったものですから、今まで県の工事を取ったことがない業者にだけオープンするという入札を行ったこともあります。(微修正の変遷は県のHPで見ることが出来ます。)
こうして、最近では事業者の方にも不満はなくなり、また、この制度によって「我々も経営の中身をきちんと見つめるようになり、その結果企業としても当然の経営センスが出てきました」と言ってくれる人も現れるようになりました。牧原さんのご指摘のように、私はこの制度を作る時から、こうすればああなるという作動をシミュレートして制度を作ったつもりですが、それでも制度の実行に際してはさまざまな要改善点が出てきました。それを注意深く聞いて、改良していったというのが和歌山県公共調達制度です。

 以上3点実例を申し上げましたが、牧原さんがおっしゃるように改革には作動を考えて賢明に制度を作っていかなければなりませんが、私も長年行政に携わってきて本当に思うのは、行政の中で一場大事なのは人々の生活の基盤になっている制度をいかに適切に作るかということだということです。しかし、だからこそ、行政というのは価値のある、意味のあることだと思います。その意味で、私はそういう仕事を50年近くやらせて貰って幸せであったし、是非有為の若者が、この価値のある仕事を、制度の作動を考慮しないいい加減な態度でもなく、時流に乗っていい格好をするためでもなく、志して貰いたいと思います。