東京大学先端研のフェローにして頂きました

 4月26日付で東京大学先端科学技術研究センターのフェローにして頂きました。俗称東大先端研といいます。フェローというと、一番初めにこの言葉を知ったのはノーベル賞を貰った江崎玲於奈博士が確かIBMのフェローであったと知った時であります。そう言うとえらくえらそうに思いますが、そうではありません。聞くところによると、東大では70歳を超えると、特任教授といったタイトルは与えられず、みんなフェローだそうです。そういうわけでフェローというタイトルで、先端研の仲間に入れて貰いました。大変名誉なことでありがたく思っています。これも和歌山県知事として16年間仕事をさせて頂いた実績を評価して頂いたものと思いますので、和歌山県民のおかげだと思います。かくなる上は少しは貢献せねばと思っております。
 先端研は大変ユニークで面白い組織です。元は東京大学宇宙航空研究所ですが、1981年の改革で、この研究所が文部省の宇宙科学研究所と東大の工学部附属境界領域研究施設に再編され、後者から1987年誕生した東大の附置研究所です。歴史を見ると、(私が情報を通産省で担当していた時の重鎮で懐かしいお名前の)当時の猪瀬直樹教授・工学部長が民間の研究所も参考に考案されたそうで、この時先端研の4つのモットー「学際性」、「流動性」、「国際性」、「公開制」も発案されたそうです。その通り、日本の組織には珍しい学際的な組織で、様々な分野の立派な先生方が分野の異なる他の先生方と縦横無尽にテーマを設定して研究をされているように聞いています。また、当初から寄付研究部門の創設、社会人大学院の設置、広く世の中の人材を集めることなど現代でも新しい仕組みを導入して発展してきた組織です。基本は名前の通り科学技術が中心の、俗に言えば理科系の組織ですが、その中でも様々な分野の方が集まっているし、いわゆる文化系の学問を究めた方々も参加しておられ、6つある研究領域の一つは社会科学です。一例をあげると、和歌山県の景観条例の策定に当たって指導してくださり、世界遺産に関しても世界的権威でいらっしゃる西村幸夫先生は、都市工学の碩学で、私が景観条例のお願いに行った時は確か工学部の教授でいらっしゃったと思いますが、その後先端研に転じ、先々代の所長であられたことを実は最近知りました。また、和歌山県が和歌山県の歴史偉人顕彰シンポジウムなどで陸奥宗光顕彰を行った時などによくお教えを賜った御厨貴先生も、先端研の教授でいらっしゃったのです。最近では芸術と科学の融合研究や、バリアフリーといった複合領域でも幅広く研究を進めているなど、何でもどんどん手がけて大変面白い組織です。その一環で、宗教、心と、科学技術、芸術とのコラボで何が出て来るかを探る「高野山会議」を金剛峯寺、高野山大学と共催で毎年夏に開催しています。(こんな素晴らしい高野山会議も、知事をやっていますと初めの挨拶ぐらいしか出られなかったのですが、今年は全部出て聞かせて貰おうと楽しみにしています。)皆さん是非出られたらどうでしょうか。
 先端研と和歌山県との関係は前所長の神崎亮平先生が和歌山の橋本出身だと言うことで知己を得、いろいろと御協力を願う中で、和歌山県とも一緒に活動しましょうと言うことで、包括連携協定を結ぶことになりました。この関係はさらに全学的に発展し、昨年には東京大学そのものと包括連携協定の締結にいたりました。
 先端研のフェローには、我々が沢山お世話になっている、和歌山出身の、生命科学の谷口維詔先生、東京芸大前学長の澤和樹先生も名を連ねておられ、私も加えて頂いたのは、神崎先生を初めこのような方々が推して下さったおかげだと思います。もっとも、こういう学を究めた方と同列というのはおこがましいのですが。
 そういう素晴らしい組織に加えて頂いたのですが、もとより、私は研究者としての訓練、学識、経験がありませんから、他の先生のようにはいきません。ただ、先ほど申しましたように、知事としての、実務経験からの知識で何らかの貢献が出来るかもしれません。行政、地方行政の実務経験者はおそらく私一人なので。杉山所長は気を遣って、色々とアドバイスをお願いしますとおっしゃってくれていますが、私はむしろこれまでやってきた行政の科学的意味づけなど自分が大いに勉強になるのではと期待しています。ただそれだけでは申し訳ないので、杉山所長、神崎前所長とは、先端研の営業活動、PRなどもやらせて貰いますといってあります。いずれもこれからであります。
 ずっと前に初めて神崎先生を先端研にお訪ねした時、先端研の前の組織、宇宙航空研究所の名残の、航空機の飛行実験に使う大きな風洞を見せて頂きました。それで思い出したのですが、私が大学に行っている時、保護者代わりにお世話になったのが当時宇宙航空研究所の教授の八田桂三先生のご家族でした。池の上にあったおうちをよくお訪ねして札幌オリンピックをテレビで見せて頂いたり、ご馳走になったりしていました。(うんと遠い親戚になります。)今は亡き八田先生の古巣につながる先端研にこうしてご縁が出来たのは大変感慨深いことであります。