高野山会議

 今回が3回目ですが、夏、高野山で高野山会議というのが開かれています。主催は、私もフェローとして仲間に入れてもらっている東京大学先端科学技術センター(先端研)と高野山金剛峰寺及び高野山大学です。参加者は、高野山の宿坊に泊まるなどして7月13日から7月16日の4日間、中々おもしろいセッションや分科会に参加し、また折にふれて行われる音楽会や山麓エクスカーションなどに参加をすることが出来ました。今年のキャッチフレーズは「地球上のすべての人々が協調して自然と共生するための科学技術を目指して」ということになっていて、特にメインの科学技術のみならず、デザイン、芸術、次世代育成、まちづくり、さらには宗教にも視野を広げた広範かつ自由な議論が行われました。そして、最終日の7月16日、高野山宣言がこの会議の実質的な主導者である神崎亮平東大名誉教授(先端研前所長、現シニアリサーチフェロー)によって読み上げられました。先端研の杉山正和所長をはじめ、先端研内外の様々な分野の専門家が、コーディネーターやパネリストとして登場し、私から見ても、その議論の1つ1つがとても有意義なメッセージを込められていたと思います。
 私も、和歌山県と先端研の連携協定の張本人であるし、その具体的なアウトプットの1つの高野山会議の意義はとても高く評価していましたので、知事であった昨年は大いにPRし、県庁職員には、若手を中心にどんどん参加して勉強しようと勧めていました。しかし私自身は、ありとあらゆる仕事をこなさないといけない知事の立場から、あまりこれにばかり時間をさくわけにはいかず、昨年などオープニングとそれに続く最初のセッションのメインスピーチしか聞くことができませんでした。
 そこで今年は、全部のセッションに出るぞという心構えで、参加させてもらいました。(全体のタイムスケジュールと講師紹介、それに高野山宣言は別添いたします。)
 その内容はとても刺激的で、この会議に出て勉強させてもらったこと、触発されて考えたことを次のように、シリーズでこのメッセージ欄に書かせていただきます。
 ①工芸と芸術、自然とAI
 ②教育
 ③まちづくり
 ④イタリア

 和歌山県庁や高野町はじめ近隣の町の職員もロジを中心に手伝ってくれて、県の前東京事務所長で現在は先端研の非常勤職員でもある日根かがりさんは、企画、準備に大活躍で、全体のMC役を務めたほか、県の職員の動員にも大いに力を発揮しました。

 岸本知事も(おそらく)多忙の中、昨年の私とちがって3日間も聴講に見えて、最終のセッション「瞑想 自然と一体化した境地」では、ハプニング演出で急遽パネラーとして壇上に上げられ、所感をのべられました。
 その時の主題は「自然と一体化した境地」というとても崇高なものでありましたが、アイロニカルにとてもいいお話をされました。曰く「私は他の人々のような高邁な人ではないのです。政治家で、いつも政治闘争ばかり考えている腹の真っ黒な人です。政治の世界はいつも武器をもたない戦争です。きつねとたぬきのばかしあいばかりだと言ったら、先輩に『甘い。我々はそんな哺乳類ではなく爬虫類だ。』と言われました。したがって、そういう人の意見と思って信じないで下さい。私は、中国の古典に興味があり、師について勉強しました。あの『徳』は日本の『徳』ではありません。利益を求める人間の処世術のようなものです。その師が『徹底的に利他を追求せよ。そうすれば、それは必ず自分の利になって返ってくる。』と言われたので、実践しています。自分は徹底的に有権者のために尽くします。そうすると自分のためになります。有権者が私を支えてくれるからです。これを徹底的にやってきました。」

 これは、同じくハプニング登壇者で先端研のウクライナ問題のエキスパート小泉悠さんの「どうも人間は宗教でもテクノロジーでも皆戦争の道具としてしまう。」という発言と同じく、ことばはともかく至言であるなと思いました。

 私は、岸本さんが、政治家は選挙で勝つための闘争しか考えていないと言われた、その政治家たる知事を16年間もやってきました。しかし、私は、この岸本さんが定義した政治家ではない政治家、あるいは別の言葉で言うと政治家を否定した知事で生きていってやろうと思ってがんばってきました。有権者すなわち県民ですから、県民のためにすべてつくしてきたというのは同じですが、有権者の方々が、自分に利をもたらすことは求めないようにしよう、仮に君はもう退場しろというのであれば、それでもいいではないか。そのかわり、県民のために行政として行うことが論理的に正しいと思うことは、誰が反対してもやってやるぞという思いで努めてきました。
 そこへ行くと岸本知事は徹底しています。しかし、有権者は県民ですから、実は同じことで、県民のために徹底的に尽くすという点では同じです。それに私のように、自分のために一生懸命やっているわけではないぞ、利他の心でやっているのだとがんばるということは、どうしても自負の念が強くなります。論理にこだわり、肩に力が入っています。このセッションのテーマが「自然と一体化した境地」ですから、自らを爬虫類だといいきれる岸本知事こそ、自然と一体化した境地の体現者であり「ほとけ」に近いのかもしれません。ここまで考えて、私が言っていることは真言宗ではなくて、むしろ浄土真宗だなあと苦笑しました。

 ただこうして尽くしきる有権者のその意向が論理で考えた時に、和歌山県の悠久の発展に反するということが分かった時、自然と一体化し続けられるか、論理をたてて自然にさからうか、難しいところでしょう。