芸術デザインと自然とAI-高野山会議から

 主催者の1つである東京大学最先端科学研究センターは、理科系の科学や技術ばかり研究しているわけではなく、御厨貴先生に代表される政治学、歴史、和歌山県にとって恩人の一人である西村幸夫先生や小泉秀樹先生に代表される都市計画や、都市工学、まちづくりなど様々なテーマを皆さんが適宜コラボして追求しているところですが、とりわけ最近は芸術とデザインの面で伝統的な科学技術との融合を図るような研究が追求されています。
 高野山会議でも芸術とデザインに関係するセッションがいくつかあって、極めて興味深い議論がなされました。私は実は30年ほど前、通産省からジェトロに出向してイタリアのミラノのジェトロセンターに勤務し、ミラノで3年間を過ごしたのですが、今回の講演者にはミラノ大学のロッセラ・メネガッツォ准教授、ミラノでデザイナーとして活躍している伊藤志信さん、伊藤節さんが出演してくれていました。また、このテーマの重要人物の滋賀県の木桶職人の中川周士さんが実演もしてくれ、お話とともに大活躍でした。

 ここで語られた重要テーマは、人は言語とそれによって組み立てられた論理にばかり頼っていて、自然から離れ、その中で磨かれる感性からも離れていっている。
 ヨーロッパとちがって、日本の自然は手を入れるべきものとは考えられず、自然にまかせる中で、自然と文化のつながりを作っている。その中で感性もみがかれていたが、それを失って言語と論理だけの世界になれば、テクノロジーの進歩によってAIに代替され、人間の領域がなくなっていくのではないか、という心配も生じるというようなことであったかと思います。人間は科学の進歩によってAIに代替されるかという問いに対しては、言語によってくみ立てられる論理の部分は、代替されることはあっても、物理的な生命体としての体の部分と感性の部分は代替されることはないというのが、パネラーの方々の意見であったかと思います。

 私もそのとおりだと思いますが、お聞きしていて思いついて、その場で指摘もさせていただいたのは、危険なのはAIが人間と代替するかということよりも、人間がAI化することだということです。
 その中でも世界で特に危ないのは日本人です。日本人は同調圧力に弱い国だと思います。そこから忖度も生まれるし、村八分などという言葉が一般的に人口に膾炙しているのも日本が最右翼でしょう。そこへIT化の波がどっと押し寄せ、個人の生活も今やスマホに支配され、スマホから手軽に得られる情報に人々はあまり疑いもなく依存しています。「ほんまかいな」というのが少ないのです。知事時代をふりかえっても、「政権交代」とか「コンクリートから人へ」とかのキャッチーな言葉がはやり、マスコミがこぞって報じるようになると、その是非をゆっくり考えることなく、日本中が「そうだそうだ」ということになり、とどまることを知りませんでした。そして、一つの時代がすぎるとその熱が放散され、人々はそんなことを支持していたことを忘れたように、次のキャッチ―な概念に飛び付くのです。AIはそもそも学習によって多数の情報のあるところに解があるしくみですから、そのためのディープラーニングをして、その情報を精緻化していくのだと思いますが、もともとの客体たる社会が、同調圧力で一枚岩となっていれば、AIが頑張るまでもなく、そこから出される解は1つということになります。
 したがって、AIによって支配されるかどうかは、感性や自然という面でそうならないという前に、人間の考えや能力がAIのように収斂されてしまえば、たやすくAIに支配されるようになると思うのであります。
 したがって、もしAIの過剰プレゼンスを議論するのであれば、同調圧力にまけない「へそまがり」の知性の重要性や、風やトレンドを読んで皆一方向でだけ報道しようとするメディアの態度や、スマホなど安易な外部情報を盲信することのかわりに自分で「ほんまかいな」とよく考えてみる習慣などが大事だと、もっと強調されてしかるべきであると思います。

 高野山会議の議論に戻ると、言葉で論理的に説明される世界以外に、手で、体で覚えていく工芸や、感性に直接働きかける芸術の重要性は、大いに主張されました。自分自身は、芸術ダメの理屈人間、論理にこだわる頭カチカチ人間ですが、若い頃ミラノにいて、工芸や芸術に価値をおき、それが生活の中にしみついている世界を垣間見、また、知事になってからは、すばらしい芸術家のご協力を得て、和歌山の芸術活動を盛んにする運動を大いにやってきました。そこから芸術活動はすばらしいものだと、それこそ直観と感性で分かるようになりました。
 東大医学部と東京芸大は、数年前から、音楽が脳の働きにどうプラスの働きをしているかを調べ始めています。そのあたりの科学の発展の可能性を考えて、芸術、デザイン分野の強化と自然科学の他分野とのコラボを先端研は考えているのでしょう。