まちづくり-高野山会議から

 まちづくりは最近の行政課題の中でも特に大事なテーマです。大都市も過密の中でどうやって生き生きした魅力的なまちを作っていくかが大事なテーマですが、人口減に苦しむ地方にとってはそれ以上に切実な問題です。高野山会議では、二つのセッションでこの問題を論じました。新進気鋭のデザインの専門家、吉本秀樹さんがコーディネーターを務めた「高野山のまちと人」と、バイオリニストの近藤薫さんがコーディネーターを務めた分科会、「自然と共生する町づくり」です。

 その中で深いなーと思って聞いていたのは、高野山学園法人本部長の山口文章さんが、英語のNATUREは自然(しぜん)と訳するのだが、これは名訳である、仏教など東洋の考え方では同じく自然と書いて「じねん」と読ませるものがあって、西洋流の「しぜん」の考えはなかったとおっしゃったことです。「じねん」とは自らしからしめたもので、元々あるもの、「しぜん」は人間が関与する客体という違いがあるとのことでした。日本には「手つかずの自然(しぜん)」という言葉がありますが、これなど、本来は「じねん」の世界のことで、西洋の考えでは、自然(しぜん)は人間が制御すべき野性と言うことなので、手をつけてこそ意味のあることなのでしょう。ついでに、山口さんはSDGsの考えにはこの西洋流のにおいがするとおっしゃっていましたが、私もそう思ってにやりとしました。

 本来の町づくりに戻りましょう。私は高野山は、和歌山県はおろか日本の中でも例外的に町づくりがうまく行っているまちであると思っています。和歌山市を筆頭に中心市街地が廃れて、町中が寂しくなって、さらに人の住んでいない廃墟がいっぱいという状況になっているところが、日本中にいっぱいあります。主因は若者が出て行ってしまって、人口の社会減が進むというものですが、市街地の面積が拡充した結果、残った人口も町の外縁部に、外縁部にどんどん移ってしまって、中心部の崩壊に手を貸しているというのが現実です。実はこのような事態を避けるために、工夫されたのが、都市計画であって、土地利用に箍をはめることにより、町の崩壊を食い止め、町の伝統を守るということになっています。これを担保するために旧建設省に強烈な都市計画法があって、土地の利用制限を行い、町の崩壊を止めていることになっているのですが、天下の頭の固い官僚ががちがちの規制をしているはずのこの分野の規制が日本ではとても甘く、開発はやめようということになっている市街化調整区域でも、農業以外に利用しては行けませんということになっている農地でも、どんどん家が建ち、開発が行われてきたというのが日本の現状でした。都市計画法の運用が元々甘い上に、条例でさらに甘くすることが出来ることになっているので、日本中で、町の区域がどんどん広がり、人口がそう増えなくなってからは、中心市街地が衰退するという現象が起こりました。和歌山県でも、特に和歌山市は、和歌山県では例外的に周囲が平らな紀ノ川平野に囲まれていますので、町の外側の農地をつぶして外に広がることがしやすい構造であったし、和歌山市の条例が都市計画法を緩く運用することを許していたので、人口が多い市街地というべきDID地域が、私の子供の頃に比べると3倍から4倍になっています。人口はそれほど増えていないので、新しい世代が地価の安い周辺に行ってしまうと、中心部は土地需要がなくて衰退していくことになります。周辺部も、確かに中心部よりは地価が安いのですが、どんどん利用できる土地が増えていくと、中心部と同じく地価が下がって、そこに住んでいる人の財産価値も減っていきます。このように、緩すぎる都市計画は町全体の住民の資産価値を減ずるのですが、このように全員にじわじわと効いてくる現象は、あまり人々に気づかれません。それよりも、農地を売って、農業をしていた時よりずっと一時の収入が上がる人の幸せの方が意識されるので、勢い農地はどんどん転用され、そうしたい住民の声に従って、行政も政治家も動きます。しかし、土地の値段は土地に対する需要と供給によって決まるので、土地需要は人口の増減によって決まるとして、経済成長が落ち着いて人口増が期待できない町で、開発用の土地供給ばかり増やしたら、全体の土地価格が下がって、その土地は住民の資産なのだから、ほとんどの住民が貧乏になると言うことは考えたら分かることなのですが、先に言ったようにみんなのじわじわ効いてくることには人々は気がつかないか、気がついていてもその原因を考えようとはしません。
 中心市街地の崩壊を食い止めようとして、商店街対策をとか、イベントを町中でとか、果ては中心市街地がだめになったのは市電を廃止したからだから復活しようとかいろいろな意見が出るのですが、不思議なことに最近にいたるまで、都市計画法を利用して土地の利用制限をしなければ町は復活しないという意見を言う人はほとんどいませんでした。(このような状況を端的に書いているのが、野澤千絵さんの「老いる家、崩れる街」(講談社現代新書2016年)です。)
ようやく最近になって、都市計画も一緒に考えようという「町づくり3法」が実現したのですが、これもなかなか微温的な性格が強く、問題の解決にはまだまだ遠いというのが私の考えでした。

 実はこのことにショック療法で対処しようとして始めたのが、和歌山県が2015年8月に発表した「守ります。まちと優良農地」で、「優良の地の転用はもうこれ以上は認めない」という方針を打ち出しました。いわばショック療法です。考えてみれば、農地転用の多くの権限は市町村に移管されているので、県が出来るわけがないものが多かったのですが、思い切って言ってしまったところ、県内に広くじわじわとショックが広がり、反対の嵐が巻き起こりました。もちろん反対をする方にも理と根拠もあり、元々権限のない領域にまで発言しているわけですから、翌春先の方針を撤回し、市町村も、もちろん県も、都市計画法や農業の振興に関係する法の趣旨に照らして、農地転用に関しては賢明な運用を心がけようと言う呼びかけに替えました。私としては、ずっと気がつかないでいた、都市計画法の意義や土地の需給によって地価も変わってくるということを多くの人が意識してくれるようになったのではないかと思っていまして、きつすぎるメッセージの撤回も内心は予定通りという気持ちだったのも事実です。しかし、このあと、実際に野放図な農地転用はうんと減りました。開発業者さんも関心を中心部に向けてくれて、それ以来、特に和歌山市で、多くのマンションが建つようになりました。ここに特に若い人が戻ってくると、子供さんも生まれ、少しは賑やかな町が実現できるのではないか、少なくとも方向はその方向に行っているなと思っています。
(上記野澤さんの本には、このような経緯が紹介されていて、私が地方公共団体の長には珍しく、勇気を持って行動を起こしたと書かれているのですが、県議会などの圧力に負けて、その方針を撤回したと書かれてあります。確かに撤回はしたのですが、その趣旨は実は上記の通りです。)

 ではこういう和歌山市などと違って高野山はどうして町づくりがうまく行っているか、これについてもとりわけ山口さんから説得的な説明がありました。
 高野山は四方を山に囲まれた天上の平原で、その平原の中に今以上に寺院がひしめき合っていたが、四方の山を越えて外側に広がることが出来なかった。また、町内の主要地は金剛峯寺の所有地であって、町衆は土地を借りている状態なので、町の雰囲気を壊すような土地利用は出来ない。このような特殊事情で町が壊れることはなかった。かれこれこういったご説明であったと思います。私もその通りだと思います。高野山を取り巻く自然と、ここが山上の修行場であったという歴史的経緯が自然の都市計画を貫徹させていたんだと思います。と考えると、この地を選んだお大師様のご慧眼はやはりすごいと改めて思うのであります。

 次に登壇をされた東京大学の小泉秀樹先生がとても示唆に富むお話をされました。小泉先生は都市工学の専門家で、和歌山県にとって、その景観条例の指導者であるとともに、世界遺産の関係のよき導き手でいらっしゃった大恩人の西村幸夫先生のあとを襲って、東京大学先端科学技術研究センターの教授もされている方ですが、「場所づくりから町づくり」というテーマでお話をされました。まち作りには人々が集まり、暮らすことを思考した空間が大事で、単なるSpaceではなく、人々が楽しく集まるPlaceでないといけないとおっしゃったことがきわめて印象的でした。先に述べた和歌山市の中心市街地は私の子供の頃はお店もいっぱい集まり、子供の私もそこに連れて貰うのを楽しみにしていた場所でした。また、地方都市にしては著しく広い夜の歓楽街もあって、私の父は毎晩のようにそこで「接待」をしていました。近隣他県からも人が集まったと聞いています。ところが、まちが外縁的に拡散した結果、町中の人口密度は激減し、人々は車を使って郊外のショッピングセンターに向かうようになり、広大な盛り場が歯抜け状態になり、お店同士の間隔が空きすぎて集積のメリットがなくなってしまったのです。それに反して、東京は山手線沿いと内側にある密な遊び場と郊外電車の駅それぞれにある店舗群が健在で、若者も、おじさん、おばさんもこもごも集まって、これは楽しかろうと思うところがあります。私はずっと、まちづくりは、都市計画でまちをぐっと引き締めることと、それを前提にして、元気がなくなったところを再開発で甦らすことだと思っていましたが、小泉先生の話を聞いて、もう一つの要素がいるのだなと改めて思いました。

 小泉先生はこの脈絡で、長野県の小布施町を紹介してくれました。小布施は伝統的な町並みを残し、雰囲気のよいまちとして多くの内外の観光客を集めているところですが、第一に、小布施は意識的に都市計画の手段を使っているとの説明がありました。小布施は高野山と違い、割合なだらかな地域にあるまちですが、旧来のまちの周りは厳格に都市計画を適用し、市街化調整区域を広く取ってまちの外縁的拡大を防いでいるとのことです。高野山は、人為の力を借りなくてもお大師様の先見の明で四方を山で取り囲まれていますから、自然の都市計画が貫徹していたのですが、小布施はそれを町の人が人為的に考えて実行しているとのことです。日本の圧倒的に多数の地方都市と比べ、すごいことだと思いました。しかし、小布施の人為的工夫はこれに留まりません。まちを人々が集って面白いところにするために、花の町づくりをしているというのです。それも一般の家庭の庭をオープンガーデンの制度を作って登録し、登録をした家の庭には花を作り、まちの他の人でも観光客でも自由に入って楽しんでよしとしているというのです。さらに、まちの中の国道を拡幅する際にも昔の町並みを残すような工夫をし、外部の識者も入れて、人が集まりそうな桜並木を作り、図書館、美術家に人が集まりやすいような工夫を施し、若者会議なるものを作って町内外の若い人が集まって議論する場をこしらえ、果ては町長が庭にビアホールをいつも開いていてみんなが勝手に飲んでいるとか、寺の住職が子供たちを集めてバレーボールに似た変わったスポーツを寺の境内で始めてみるとか、およそそんなこともと思うような工夫をして人が交わる場所を作っているのです。
 これはすごいと思いました。
 小泉先生のまとめでは、町づくりには、コミニティーコントロールと開放性、多様な主体の連携と共創、Small is beautifulが大事で決して大きくなろうとはしない、場所を大切にした町づくりの4点が重要ということでした。

 ここまで聞いてみると、先ほど大いに誇った高野山の町づくりは完璧とは言えないと思うようになりました。それは、日帰りの観光客や宿坊に泊まっている観光客は楽しいけれど、その人たちにサービスをする町の人は楽しいのだろうかと言うことです。これまで、観光の専門家から、高野山は夜がさみしい、一歩宿坊から出ると、軽い食事をするところも、集まって談笑するところも、一杯飲むところもないという指摘を受けてきました。それを受けながら、特段の手を打たなかった前の知事すなわち私も今一ではあるが、この際、この点を考え直す必要もあると強く思いました。そういえば、高野町で働く若い世代も、町内に住まないで、橋本市や、大阪府から通っているとかをよく聞きます。また、これは本当かどうかは知りませんが、えらいご住職が背広に身を包んで、夜な夜な大阪に飲みに出かけるとか。さらに、高野山が好きで、高野山に住み着いて研究の傍ら子供たちの寺子屋を営もうとしている大変な学究は、子供たちは学校から帰ると遊ぶところがなく、家でテレビゲームばかりしている、可哀想だと言っておられました。こういう環境は働く人、特に若い人の家選びにも影響します。それはとりもなおさず町の繁栄にも影響します。御大師様の恵みによる町づくりの最優等生、高野山でも、人々が、子供も、若い人も、年寄りもそれぞれ集まってわいわい楽しむ場所を町中にうまく作っていく工夫をしていくべきではないかと思いました。幸い高野町には賢い金剛峯寺がいます。フットワークの優れた町長も職員もいます。知性と感性の塊のような若者も、高野山の魅力に惹かれて、高野山に来てくれていて何か貢献してあげようと思ってくれています。大いに期待したいと思います。実は高野山会議の間、私の泊まった宿坊は基本的に夕食を出さないところだったので、探し回って伺ったお店はとてもおいしいものを出してくれました。こういうお店がもっと増えれば良いのになあと思った次第です。おそらく大丈夫でしょう。何せ、御大師様がいつも近くで見ていて下さるのですから。