イタリアの思い出-高野山会議から

 高野山会議では、東大先端研の最近の重点を反映して、アート、デザインが大いに取り上げられましたが、そのスピーカーとして、ミラノ大学のロッセラ・メネガッツオ准教授、先端研のメンバーでミラノに拠点を置くデザイナーの伊藤志信さん、伊藤節さんがミラノからお越しになって参加されました。
 実は私は、今から30年ぐらい前、イタリアミラノのジェトロセンターに出向を命じられ、およそ3年間家族とともに当地で過ごしました。当時はバブル絶頂期で、日本経済は向かうところ敵なし、あんまり勝ちすぎると国際経済ルール自体がひっくり返される恐れがあると、当時の政府は、出来るだけ貿易相手の利益になるような対外経済政策をしていましたので、ジェトロ・ミラノの活動もその方向に沿ったものになりました。日本に売り込みに行きたいというイタリア人ビジネスマンを大事に世話したり、潜在的対日輸出品を発掘したり、日本の企業とのマッチングを試みたり、日本が置かれている情勢や日本の考え、あるいは国際ルールなどを各地の経済界や大学などで話して回ったりもしました。また、日本から、大勢の方がお越しになりますから、政治家、役人、経済界の方々、学者の先生方とお食事をしたり、ゆっくりとお話しをする機会があり、ものすごく勉強になり、その後随分仲良くして頂いている方々もいます。
 一方、私生活でもエキサイティングなことがいっぱいあって、ミラノの裏山とも言うべきアルプスをはじめ、ヨーロッパ中を蝶の採集に駆け回りましたし(この成果はその後日本麟翅学会の機関誌に「現代ヨーロッパ蝶事情」として何年にもわたって発表しました。)、それ以外でも家族でイタリア人に呆れられるほどヨーロッパ中を旅行しました。また、イタリア料理や買い物や芸術鑑賞や社交なども大いに経験できました。その結果、街のあり方や、歴史や、イタリア人の生き方や、美術や音楽に対する考え方や、教育の状況にも大いに勉強させられることがありました。特に、いろいろな経緯で娘がピアノで活躍するようになっていましたから、そこから分かるイタリアやヨーロッパの音楽の世界も少し垣間見ることが出来ました。私達一家にとって、まことに熱いイタリア生活でありました。これもボッコー二大学のモルテーニ先生夫妻をはじめ、同大学をはじめとする大学の先生方、ジェトロの面白い同僚、中央・地方政府の重鎮方、経済界の面々、町の人、山や村の人など多くのイタリア人に仲良く付き合って頂いたおかげかといつも感謝しています。
 高野山会議で、ミラノ大学のロッセラ・メネガッツオ先生が立派な日本語でプレゼンをするのを見て、さてはと思い、聞いて見るとやはり先生はモルテーニ先生の教え子でした。先生は自分の日本語は今一だと盛んに謙遜しておられましたが、謙遜するのはインテリのイタリア人の特徴だと言うことを私はよく知っています。セッションの合間に先生や、伊藤志信さん、伊藤節さんとお話をしていて、イタリアのことを書きたくなりました。ここでは仕事の話をひとまず置いておいて、そのほかのイタリアのことを、高野山会議のテーマに関連するところをピックアップしてオムニバス方式で書きます。ただし、アップトゥーデートな情報収集をこの所していませんので、あるいは現状にそぐわないところもあるかもしれませんが、お許しを。

その1 ミラノのデザイン、ファッション
 1989年にミラノへの赴任を命じられた時、通産省の仲間、特に女性職員に「ワーいいわね。」とうらやましがられました。理由はちょうどその頃、ファッションの世界でミラノが脚光を浴び始めていたからです。その当時、女性ファッションはもちろん、男性の背広などもイタリアンカジュアル、通称イタカジが流行っていまして、ミラノで見た日本の新聞には大銀行の入社式でお堅い新入社員が全員イタカジに身を包んで神妙に写っていました。ミラノでは7月と2月には大幅なセールがあるものですから、私も当時高島屋が日本にも入れていたバルダッサーリと言うブランドを買いに職員に連れて行ってもらいました。着てみると、肩幅が異様に広く、ズボンがぶかぶかの「イタカジ」です。どうも好みではないので、ズボンを細くしてと頼むとOK、でも、肩幅を狭くしてと頼むと、これは我が社の型だから駄目と言われました。私は、今年の流行はこういう形かと思っていましたが、それは全くの誤りでした。例えばゼー二アに行くと肩幅は普通の昔ながらの型の背広ばかり。聞いて見ると、「これが私達の型なので、いわゆるイタカジの様な型などはよそが作っても私達は絶対に手を出さない、流行などは何の関係もないし、それが全体の流行と思ったら間違いだ。私達の客層は決まっていて、昔からのお金持ちや、堅い職業の地位の高い人。一方、「イタカジ」風はデザイン業界とか、ニュービジネスで自己主張をしている人なんかが身につけるよね。そういう層の人達は私達は相手にしないのだ、また相手にしなくったってゼーニアの服を買ってくれる層の人はいるのだから。」とまあこういう調子でした。よく見ると、イタリア人は、ヨーロッパは皆そうですが、職業や身分によって着ている服やファッションが皆違います。でもそれをそれぞれの人が満足をして着ているように思いました。服装は自己主張の道具で、言い換えるとアイデンティティーを表すものと言うことだと思いました。この人達はすごいなあと某銀行の堅い新入社員が猫も杓子もイタカジが流行だと言われれば全員それというのを見るにつけ思いました。今は日本も進んで、ITとかデザインの世界で活躍している人は、背広にネクタイのファッションから卒業しているようです。ただ面白いのは、イタリア人は保守的で、堅い銀行員や官僚が柔らかい服を着ることもなければ、柔らかい職業の人がゼーニアのような伝統的な服を着るというのは見ませんでした。洋服を見るとその人の職業や生活が分かると言うものでした。それを自分だけはこの組み合わせを破って革新を気取るという人はほとんどいなかったのです。
 また、同じようなことを別の場で経験しました。ジェトロにいるとミラノコレクションの入場券を入手出来るので、結構熱心に出入りし、社会勉強をさせてもらいました。日本にいると、新聞などで今年の流行についての特集記事が出て、ファッション業界の大物みたいな評論家が今年の流行はこれこれと言ったご託宣をするのをよく見ます。それでそういうものがあるのかと思い、あるデザイナーのショーに行きますと、モデルさんがほとんど白ばかり着て出てきます。日本の上記の事情に影響されている私が、「そうか。今年の春夏物の流行は白なんだな」と思っていたら、次に別のデザイナーのショーに行きますと、白などちっとも出てきません。分かったことは、デザイナーによって皆自分の主張があって、それに基づいて作品を出して勝負しているのであって、共通の流行などないと言うことです。日本の新聞で大評論家がご託宣されたとおりに、ファッション業界が今年の流行はこうですよと言い、消費者は疑うこともせず、それに従うということなどありません。イタリアと日本のファッションに対する態度がどちらがmachuredか、答は明らかだと思いました。
 商売柄、イタリアファッション業界については、その発展の歴史や業界の仕組みなど結構勉強しました。その成果を日本ファッション産業振興策に取り入れようとしましたが、中途半端で終っています。こういう話はここでは省略しますが、お会いしたときはいくらでもしゃべります。

2.街の様子
 1989年に初めてミラノに住み始めた時の第一印象は、古くて汚い街だなあと言うことです。道路は、古い街特有の狭い、曲がりくねった道だし、(と言っても表通りは日本の大概の街よりは広いですが。)、建物は、背が低くて、古くて、汚れていて、当時の東京では新しいビルがいっぱい建っていて、それらが皆近代的で綺麗なのと比べると、なんとお粗末かと思ったものでした。ところが、2,3ヶ月住み続けると、その評価が180度変わりました。古い町並みがそっくり残っているのは美しいし、歴史と伝統の中で生活をしているとなんか楽しくなる。一方、新しくて綺麗だと思った東京の街は、ビル一つ一つがばらばらのデザインで、町並みに調和がなくて品がない。という風に変わってしまったのでした。我ながら、軽いなあと思うのですが、ミラノの人達はこの自分たちが美しいと思う街を維持するために大変な努力をしているのです。まず、都市計画は完璧です。城壁の外に街が広がることは許さないので、城壁を一歩出ると途端に豊かな農地になります。街の中は古い建物を全部壊すことは許されていず、外壁はそっくり保存して、中は快適に、結構近代的に作り替えます。街に住みたい人は沢山いる一方、供給は絞られていますから、資産価値は落ちず、亡くなったり、退出したりする人はその権利を売って資産を失うことはありません。それでもミラノのような大都会は発展して、人口も増えていきそうですから、少し離れたところに、住宅はもちろん、ショッピングセンターや一部企業オフィスも備えた全く新しい街を作るのです。ミラノの本来の町中には大きなスーパーなどもほとんど作らせませんし、郊外にももちろん作らせませんから、人々は街のお店で買い物をし、お店も廃れることはありません。もっとも、その代わり、コストは高く、街の人々は物価高を甘受しているのです。そしてそれをほとんどのイタリア人はよしとしていたと思います。また、街の中のお店を守るため、大規模店の出店はおろか、小規模店でも、既存店の利益を守るため、出店には既存店の同意がいることになっていました。そうして財産価値を守り、退出をするときはその権利を新規参入者に売るのです。この考えは街のタクシーなどにも同様に見られます。でも、これを高コスト構造でけしからん、規制緩和をしろと言う声は少なくとも当時はありませんでした。
 これには面白い話があります。当時無敵の日本経済に欧米が噛みついていました。その一つの標的が日本の閉鎖的な流通機構だと言うキャンペーンをよくアメリカ系のマスコミが流すわけです。そうすると、イタリア人のインテリはそういう英語の新聞を読んでいますから、「おまえの国は閉鎖的な流通機構が問題だ、特に大規模小売店舗法による大規模小売店舗の出店制限が問題だ。」というのです。それに対して、私は、「何を言うか。日本には大規模小売店舗の出店規制はあるが、小規模小売店の出店規制なんか無いぞ。イタリアにはあるではないか。」と言ったところ、「なるほどそういうことか、アメリカから見たものの見方か」と感心してくれました。
 ただ、そういうミラノでも、駅周辺部に高層ビルが建ち始めたことを、和歌山県の物産の宣伝のためミラノ万博に出席したときに知りました。「あんなことをするとミラノの価値が下がるのにね。」と言うのが高野山会議で出席者と話したこそこそ話です。

3.イタリア人は暗い
 今でも我々日本人がイタリア人に抱く印象は、明るくて、陽気で、騒がしくて、怠け者で、いい加減、でも人生を楽しんでいる人達というのが多いのではないかと思います。ジェトロでもイタリア通の人でもこういう考えに沿ってイタリア紹介の本を書いている人もいました。私もそういうことかなと思ってイタリアに行きました。でも、そこでずっと働いたり、旅行したり、社交を楽しんだりしているうちに、これはだいぶ違うな、と言うより正反対のことの方が多いなと思うようになりました。上記イタリア人の理解は旅行ジャーナリズムが広めた一面的なものだと言うのが私の結論です。確かに、旅行者がレストランに行きますと、満面の笑みをたたえたカンツォーネの歌い手さんが現れてお愛想を振りまいてくれます。テレビなどでも上記イメージにぴったりのタレントがバラエティー番組でしゃべくりまくっています。でもそれは大いに商売上の顔です。そうだと思って満足する旅行者がいるから彼らは商売の顔を見せ、旅行ジャーナリズムはそれをかき立てるのです。でもどうも本当は違うみたいといろいろな事実から感じるようになりました。私は幸いボッコーニ大学の先生とどんどん知り合いになれたので、そこから交友関係も発展して、こういう旅行ジャーナリズムによって語られるイタリア人像以外のイタリア人に大勢触れることが出来ました。その結果次のようなことも分かりました。
①イタリア人の一流大学の学生はガリ勉
 大学にスポーツクラブなどありません。ひたすら勉強です。そして全優プラスアルファの成績を取るとどこへでも就職が出来ます。日本では、「サークルの活動に打ち込んで、その幹部などをやっていました。」などと言うと就職活動で有利でしょうが、イタリアではそんなことは考慮されません。全優というのも面白く、昔の「東大法学部全優」というのがある程度評価されつつも、そんなことよりも何か得意科目でひらめきを示す学生や性格が好ましい学生の方が評価される日本のような事は全くありません。全優です。そんなことで採用をしていると青びょうたんばかり採ってしまって困るのではないかという点についても、組織に入ったらそういう全優生は力強くなるのだと言うことだそうです。その通りかなとも思いました。かつてロンドン大学エコノミックスクールにいた森嶋教授が「自分は世界で一番勉強をする学生はアメリカ人だと思っていたが、違う。イタリア人だ。」と言っておられたよと、よくミラノに来られた石弘光先生が言いっておられました。怠け者のイタリア人と思い込むのは大変失礼です。
②イタリア人の学生はよく自殺する
 皆キリスト教徒ですから自殺には抵抗があるはずですが、かなりの数の優秀な学生が自殺するのだそうです。私達の滞在中にもありました。思い切り人生に悩んでのことだと思います。いい加減なイタリア人には決してあり得ないことだと思います。
③イタリア人のインテリは頭脳、教養、性格ともに最高だ
 私はそう思います。幸いそういう人と大勢おつきあいが出来たからわかりましたが、イタリア人のこういう人達は外国人、それも旅行者や一見のビジネスに従事している日本人の前には現れません。銀行員にも多いのですが、奥に引っ込んでいて窓口などには現れません。官界にはあまりいませんが、重要官庁の要所要職にはそういう人が少しいます。人材交流が日本よりずっと進んでいて人材供給のプールになっている感のある大学教授には沢山いますが、日本人の前にはあまり姿を見せない場合が多いでしょう。我々の理解ではイギリスの知識人がこの手のインテリの代表だと思いますが、少し斜に構えるところがあり、嫌みたっぷりで、アイロニーの世界で遊んでいる人が多いと思いますが、イタリア人の知識人はもっとまっすぐです。おそらく彼らは、イギリスの知識人などに比べると、自国に自信がありません。だから、謙遜を業とする謙虚な性格になり、同時に斜に構えて見る余裕がないのかもしれません。このような人達と私は上記ボッコーニ大学の先生方との交友を通じて多く知り合いになれました。ノーメンクラトゥーラと言う言葉がありますが、こういう人達は次々につながる交友ネットワークを持っていて、信頼されるとまさに芋づる式に多くの立派な人に紹介してもらえました。このような人達にいっぱい会えたことは私は幸せであったと思います。どこの国でも立派な人は沢山いるけれど、私達はイタリアというと、ことさらにこのような知のスパースターの存在を無視してはいないでしょうか。
④イタリア人は皆本当は暗い
 上記に述べたエリートの人だけではなくて、おつきあいのあったイタリア人は皆何かしら悩みや心配事を抱え、それでも淡々と暮らしを送っている人が多かったように思います。イタリア文学やイタリア映画を見るとアメリカの活劇やビジネスものなどと比べ、華々しい成功もなければ、堂々と自己主張をする人もいない、たまに目立つのは破綻した退嬰的な生活を送る貴族や間抜けたことばかりしているペーソスのあるお笑い話と言ったものが多いような気がします。おそらくは彼らは恥ずかしがりなもので、アメリカ映画のような成功物語を正面切って語れないのではないかと私は思います。日本人の書いたもので、この雰囲気を一番出しているのは、亡くなった須賀敦子さんのエッセイ、外国人で言えば、その須賀敦子さんが訳をしたナターリア・ギンスブルグの「ある家族の肖像」ではないかと思います。そう言えば、平川裕弘先生の訳したマンゾーニの「いいなづけ」も何かしらこの手の暗さがあるように思うのは私だけでしょうか。歌って、踊って、恋をして底抜けに明るく人生を謳歌しているイタリア人、好い加減だからビジネスパートナーには向かないと思い込まれているイタリア人、そういうイメージは、日本人としていささか恥ずかしいので是非捨てるべきだと思います。ただ、そう思われる原因ともなっているイタリア人の特色は、やはりよくしゃべると言うことかなとも思います。

4.芸術について思うこと
 最後に芸術について感じたことを述べたいと思います。この点についても、イタリア人の芸術に対する接し方は日本などよりかなりmachuredだと思うのです。教育の仕方をとっても彼らは感性から入ります。日本は基礎技能の積み上げ以外は許容しないところがあると思います。また、イタリアには芸術家を育てようとする社会の仕組みがあります。芸術家の卵が認められるようになるチャンスを沢山用意してあります。音楽について言うと、街の小さな音楽堂、教会などで頻繁に音楽会が開かれています。そして上手だと思ったら大いに拍手、それが世に出るきっかけにもなるのです。その代わり、へたくそであったら、ブーイングはありませんが拍手さえしてくれません。そういう市民の分厚い審美眼によって芸術の世界が守られています。また、子供から大人までを対象に、多くの国際コンテストが各地で開かれています。こういう仕掛けで、才能がある人が発掘されていくわけです。日本では、海外の名のある一流音楽家の演奏会には人気が集まるが、未だ世に出ていない音楽家の卵を聞きに行って育ててやろうという風土がありません。絵もデザインも皆同じです。イタリアでは、ブランドなどに振り回されないで自分の目で好きなものを選び取るという社会の雰囲気が生きているように思いました。また、手工業の伝統をとても大事にします。経験を積んだ職人はとても大事にされます。それも審美眼があるこだわりの消費者が分厚くいるからでしょう。そして、その伝統と蓄積の上にイタリアファッション産業が花開いたものと思っています。