紀伊半島大水害の遺産

紀伊半島大水害の遺産

 9月4日は、私にとっても和歌山県にとっても忘れられない日です。2011年9月、台風12号が四国沖で停滞し、紀伊半島にはその4、5日前から大雨が降り続きました。こういう時は、私は関係市町村長さんや各地の振興局長、建設部長に電話をかけまくって様子を聞くのですが、3日までは、「雨がやまないのですが、まあたいしたことはないでしょう。」と言った楽観的な口調の方が多かったと思います。3日は日曜日だったのですが、さすがに心配になって、危機管理局や県土整備部の部屋に行って様子を聞きました。赴任したばかりの河川課長は、休日出勤で臨戦態勢を敷いてくれていましたが、「和歌山は強いですね。これだけ雨が降っても被害が出ていません。」と言っていました。しかし実際は、被害報告が未だ来ていなかっただけで、おそらく既に被害は出ていたものと思います。その夜から各地から寄せられる連絡は一挙に悲痛なものになりました。「雨はますますひどい。どうなっているか分からない、自衛隊の派遣要請をして下さい。」等々です。翌9月4日は災害対応の幹部参集訓練をする予定でした。そして集まったメンバーに私が言った最初の言葉は「これは訓練にあらず、本番だ。」でした。そこから紀伊半島大水害との戦いは始まるのでした。

 私にとっても16年間の知事生活で一番大変で、印象深かったのがこの紀伊半島大水害だったと思います。結果は、驚くべきスピードで復旧、復興を果たせたので、和歌山県の声威は高まりましたが、61人の犠牲者を出し、なくなった方はどんなに復興が進んでも戻ってきませんので、今でも心残りです。

 災害は風化させてはいけないと言います。しかし、死者を悼んで、祈りを捧げるということも大事ですが、あの大惨事の教訓を生かし、次に備えることも大事です。特に行政責任者は、これが一番大事なことだと思います。マスコミもともすれば死者を悼む場面ばかり報じるのですが、次に備えることの大事さを大いに報じて人々の心に火を灯して欲しいと思います。その中で、9月1日の読売新聞和歌山版に、「紀伊半島水害12年」という数日にわたる特集の一つとして、国交省の大規模土砂災害対策技術センターの記事が出ていました。よく報じてくれたと思います。
 紀伊半島大水害では、崖崩れ、土砂崩れが頻発しました。その中でも、あまりの雨の多さによって、通常こういう場合良く起こる杉などの植林地が滑る表層崩壊に加えて、いつもなら強いはずの原生林、雑木林が一挙に崩れました。深層崩壊です。このように土砂災害の様相もまだまだ分かっていないことも沢山あり、それを解明して、その対策を考えておくことがとても大事です。それを解明しようという組織が大規模土砂災害対策技術センターで、那智勝浦町の那智川流域の、大水害の被害が最も大きかった悲劇の地を望む丘の上に建ちました。これを構想して国交省に働きかけをしてくれたのは二階俊博代議士でした。国交省も趣旨は賛成だが、建設予算などとても手が回らないと言うことでしたので、国のこの素晴らしい研究施設に来てもらうため、国の研究施設と同居する形で、土砂災害啓発センターという県の施設を作り、建物はこの啓発センターの所有物として、建設費は全額和歌山県が負担しました。そして、国からはこの分野の第一線の研究者に来てもらい、県からは県土整備部の優秀な若手職員を派遣して、最新の技術知識を身につけてもらい、同時にその職員が中心になって、研究成果のPRや一般の県民、国民の啓発をしてもらうことにしたのです。この方式はその時思いついたものですが、その後総務省統計局の一部、統計データ利活用センターが和歌山市に移転してくれることになった時にそっくり踏襲しました。(国の統計データ利活用センターと県のデータ利活用推進センターが同居しています。)
 その後、この大規模土砂災害対策技術センターは着々と研究成果を世に問うています。その成果は、和歌山県のみならず、およそ世界中の人類を土砂災害から救う一助になるものと信じています。その成果の一例が9月1日の読売新聞の記事であります。ここではドローンを使って、地形を立体的に把握する「3次元点群データ」により、土砂ダムの大きさを計測する技術が紹介されました。この記事を読んで、今更ながらこのセンターの建設に当たった者として感慨深いものがありましたが、これからも国の研究者と和歌山県の若手職員の協力で、世界の人々を救うための成果が出続けるでしょう。

 紀伊半島大水害の結果開発された政策手段はこの件にとどまりません。あのとき我々和歌山県は、国をはじめ、ものすごく多くの方々のご支援も賜りながら、ベストだと思う政策手段を必死で作り出し、それを直ちに発動しました。一例を挙げると、ダムの事前放流があります。あのとき、県の複合ダムである椿山ダムが、流れ込む水が多すぎて、極限まで貯水量が増え、洪水調整をもはや出来なくなり、入水と出水を同じ量にせざるをえない状態に追い込まれました。結果、流域に大変な被害が出たのです。複合ダムとは県の責任である治水と水力発電を関電が行なう利水との両方の機能を持ったダムで、洪水が予想されるときには、治水目的で貯めている水はあらかじめ抜いてしまうのですが、これまでは、利水目的で貯めている水はそれ自体が商業用資産ですから手を付けていなかったのです。でもこれでは、あの強烈な大規模災害の時は十分な治水機能を果たすことが出来ないことが分かったのですから、私から、当時の関電の社長にお願いして、洪水の危険が予想されるときは、県の要請で商業用の貯水も極限まで抜いてもらうことにしたのです。私は、即座にこのことを理解して、命には代えられませんと、即断で同意してくださった、当時の八木社長の姿が忘れられません。その後、和歌山県の複合ダムでは、このような事前放流が60回程度も行なわれています。そして、他県で残念ながら少なからぬ犠牲者を出した後、当時の菅官房長官の強力な指導でこの制度が全国化されたのでした。

 ただ、こうして実現した政策は、あのとき我々がいたからたまたま思いついたものなので、時代が移り、人が代わると、同じことを思いつくとは限りません。また、あのときも新しいことを始めたわけですから、抵抗もあり、それを排除したとしても発動まで多少の時間が掛りました。そこで、和歌山県は、このようにとっさに思いついて発動し、うまくいった政策を、いわば「常備軍」として残すことにしました。その政策は23項目に及びます。一例を挙げると、あのとき臨時に編成して被害市町村に救援に向かわした災害機動支援隊は、今や、4月の人事異動の際に、各人に対し、災害時にはこのチームでどこどこの市町村に行くのだぞと言う辞令を出しています。あらかじめどこへ行くかが分かっているのですから、行った時にまごまごしないように、その市町村の地理などを十分頭に入れておくようにと言う指令も出しています。

 ただ、それでも、油断が生じる危険は常にあります。行政当局者や関係者は、いざというときに何をしなければならないか、それはどうすればスムーズに運ぶかを常に考えて準備をしておかなければならないでしょう。

上述の23の追加措置は次の通りです。
1. 避難困難地域完全解消のための対策
2. 避難場所の見直し(地震津波用、風水害用)
3. DONETを利用した津波の到達予測システムの構築
4. FMラジオとメールを使った防災情報の伝達
5. 和歌山県独自の気象予報システムの導入、避難勧告等の判断・伝達モデル基準の策定
6. 「和歌山県防災ナビ」アプリ配信
7. 住宅の耐震助成
8. 大規模ホテル、福祉施設など大規模建築物の耐震助成
9. ダムの事前放流
10. 民間企業を利用した県管理河川における砂利の一般採取促進
11. 速やかなブロック塀対策
12. ライフライン(電気・通信)の確保
13. 移動式給油スタンド(どこでもスタンド)の配備
14. 防災訓練を展示型から実践型に転換
15. 災害時緊急機動支援隊の常設化と電子化設備
16. 災害廃棄物処理支援を事前に準備
17. 民間企業の力を借りた災害廃棄物としての流木の迅速処理
18. 住家被害認定士の常備化と要員の養成
19. 最初から出入りをコントロールする救援物資の集積と配布
20. 空き家、旅館ホテルなどを活用したバーチャル避難所及び仮設住宅
21. 義援金の早期配付と紀伊半島大水害の災害査定の早期完了
22. 紀伊半島大水害の本格復旧の目標設定
23. 復興計画の事前策定への着手