和歌山県知事の置き土産-紀州学研究会

 紀州学研究会が発足しています。言い出しっぺは私です。その目的意識は以前この欄にも書いたとおりです。今や和歌山県立博物館に事務局が出来、県庁職員としては異能の士で、およそ何事でも教養と知識にあふれている山東良朗さんが事務局長を務めてくれています。私は紀州学研究会を創ろうじゃないかとそこまで言って、知事を退任してしまいました。残った方々の努力でこの研究会は滑り出しているわけですが、その事務局から9月23日の例会で講演をして下さいと言う要請がありました。経緯からして断り切れないので、出席された皆さんに、次のように、この会を創った時の問題意識を喋りました。同じ内容は紀州学研究会のホームページにも載せられると思いますが、事務局のお許しを得て、和歌山研究会のこのページにも載せさせていただきます。
 
 「まず私が紀州学研究会を創ろうと思ったきっかけが、2冊の本でございます。1つは、『世界史とつながる日本史』という本です。ミネルヴァ書店からでています。副題は『紀伊半島からの視座』といって、ものすごく立派な本です。中心著者は東大の村井章介さん、それから和歌山大学の海津一朗さん、それから教育委員会などに長くいらっしゃった稲生淳さん、3人の名前が載っていますが、多くの方が参加しています。これは目次だけみていただいても素晴らしいです。
 世界史的ないろいろな出来事と紀伊半島で起こったことを斜めに切って、素晴らしい本ができています。これを読んで感動いたしました。そこで何が分かったかというと、和歌山にはこういうことを書ける素晴らしい人がたくさんいるということです。
 もう1つは『熊野から読み解く記紀神話』という新書版ですね、これは扶桑社新書から出ています。『日本書紀一三〇〇年紀』という副題がついています。これは、早稲田大学の池田雅之さんと、今日いらっしゃっている熊野学会の三石学さんが中心となってお作りになった本です。これはどちらかというと三石さんがいらっしゃるように三重県側の人たちが中心で、中上紀さんなんかも入っています。この本もなかなか素晴らしいです。その上で、三石さんがそうであるように、三重県にはこういうことを勉強する恒常的な組織がありますね。こういうのを創っておかないと、やっぱり一人一人の能力というのは分散されて、その時にみんな集まれと言って集めることができればいいですが、それも出来なくなる可能性もある、そうなるとやばいじゃないか、というのが1番初めの動機になります。

 ここで文化についての私の考えを述べたいと思います。私は、文化というのは究極の地域力だと思っています。立派な地域というのは文化、スポーツ、教育がちゃんとできるところと、そういう風に常々言っておりました。
 私は和歌山県知事をやっていました。それでは文化、スポーツ、教育しか真面目にやろうとしなかったのかと言うと、それは違います。文化やスポーツや教育がきちんとできるということは、恒産なくして恒心なしというような言葉もありますように、ちゃんと経済力も揃わないといけない。それから人口があまりにも減って、そういうものの担い手が減ってくるような地域では困る、いうことで経済政策もきちんとしないといけない。そのためのインフラもしないといけない。福祉政策もしないといけない。全て出来上がったうえで、人々が文化活動やスポーツ活動や、それから教育はちょっと違いますが、子育てをきちんとして、次の世代を育てていくということができる地域というのは素晴らしい地域だ、ということになります。
 私は今から30年前くらいに、イタリアのミラノにいました。そこで、JETRO(日本貿易振興機構)の職員をやっていましたが、ヨーロッパ中をいろいろ見て廻りました。それで特に私は美術が好きなものですから、美術館巡りをしておりました。そこで、分かったことが2つございまして、1つは、私が子どもの頃の美術の教育、美術史の教育、これがいかにいんちきであったかということがよく分かりました。これはちょっと今日の主題から外れますので、省略します。
 もう1つは、各都市には美術館がありまして、各地域でコレクションをしています。力のあった時代に集めたものというものはやっぱり素晴らしい。例えば、17世紀くらいにヴェネチア学派やボローニャ学派というのがあります。そのなかでも上手な人と上手じゃない人とがいます。17世紀のミラノはあまりパッとしていません。ボローニャ学派の人たちの作品も集めてはいますが、あまりたいしたことがない、ところがハプスブルクのオーストリアの支配下に入った18世紀から19世紀にかけては、すごいことになっています。やっぱり経済力、そういうものが文化活動の底支えになっています。
 こういうものがものすごく大きい話で、さっき言いましたように文化は究極の地域力ではありますが、経済力などもちゃんとつけておかないといけません。だけどそれをつけたところで、やっぱり文化を軽視する、あるいはスポーツや教育を軽視するような、そういう行政、地域の雰囲気だったら、それはまた問題だということではないかと思うわけでございます。

 それでは和歌山はどうなっているか。和歌山の文化の伝統というものを復習してみます。そうするとなかなかのものですよね。
 まず、徳川時代以来の伝統があります。徳川時代というのは、例えばお茶の世界でいえば、紀州藩は表千家のパトロンですから、裏千家のパトロンの加賀藩と並んで、なかなか立派です。その立派なところというのをどこで見たら分かるかというと和菓子です。北陸の地域とか、和歌山とか、ちょっと和歌山は衰えましたが、やっぱり素晴らしい和菓子のあるところは、お茶の世界で偉いところということだと思います。それから水墨画がありますよね。また、かなり広範な受容層、市民層というのが、江戸時代からずっと続いている。それの端的な例が私は『小梅日記』だと思います。ただ生活に押されているだけではなくて、物事を楽しんで、いろいろ観察して、文化活動も多少嗜んだりしている、そういう生活がありありと見えていると思います。
 それから各地の祭りというのを見ていきますと、和歌祭りは全国のすごい祭りに本当はなるはずだったと思います。ちょっとマネジメントが上手くなくて、まあ現在の和歌祭りですが、それでも素晴らしい。あるいは田辺とか粉河とか、私の大好きなお燈まつりとか、新宮の御船祭りとか古座川の河内祭りとか、そういうものがたくさんあって、それはそれぞれの地域の文化を表していると思います。
 それから習い事文化というのがあって、けっこう立派です。これは、和歌山だけではなくて全国をうろうろしていると和歌山はけっこうすごいなあという風に直感的に分かります。例えばお茶とか踊りとかお花とか絵とか書ですね。それから例えば写真、写真には亡くなられた島村安彦さんという方がいらっしゃいますが、その方はある時代、福原義春さんと並んで、日本の写真を支えた人です。そういうような人がいっぱい出てきている世界というのがあって、その時代は経済的にもレベルが高かったですが、そういう市民層が支えているその文化活動というのが、和歌山には随分根付いていました。だんだんちょっとしょぼくれている感じもしますが、まだまだ頑張れるぞというのが和歌山の姿ではないかと思います。

 それではその文化、あなたが文化と言うのは一体何かね、という話を次にしないといけません。これは、文化と言うと例えば歴史とかですね、あるいは人類学とか、地誌とかそんなのが中心になります。しかし、私はもっといろいろ何でもそうだと思います。例えば文学もそうだし、民俗学もそうだし、それから人物伝なんてものもあります。芸術そのものも音楽や美術やそういうのはみんなそうだという風に思います。さらに言えば、自然ですね、自然についてのいろいろな考察、知見、そういうものも文化活動のひとつです。大事なのはひとつひとつが独立してあるのではなく、みんなまとめてインターディシプリナリーに融合されたような世界というのが文化の塊だと私は思っています。
 その最高の人はなんと言っても南方熊楠さんではないでしょうか。あの人は本来ならば自然科学の人ですが、彼のいろいろな業績を見たら万能の天才みたいなところがありますよね。それが全部多分彼の頭の中で融合されているというのが彼の魅力だったのではないでしょうか。
 現代でいうと南方熊楠さんをこよなく愛する荒俣宏さんという人がいますが、この人なんかは本当に熊楠を継ぐ人だなあと思います。ちなみにあの人は写真記憶術ができると言っていましたね。南方熊楠さんも明らかに出来る人だという風に思います。
 そういう優れた人というのは多方面で、いろいろな文化活動ができるということだと思います。しかし考えてみると、多方面というのはもともと1つだったのではないかと思います。人間がいろいろ、この分野について特に勉強とか言って、どんどん純化させていって、多方面のジャンルができていくわけです。しかし、そのジャンルというのはもともと一体だったのではないかということを考えると、そんなに不思議なことではありません。
 だからこの紀州学研究会も、これだけとかあれだけとか、私はこれだけとかそういうことは言わずに、いろいろな人が集まって、自然のことも歴史のこともいろいろ議論する。ここから考えるとあんなことが言えるねとか、そんなことを勉強したり、議論したりする、そういうのが良いのではないかと私は思っています。

 多方面の文化活動にどんなものがあったかということを、私の本棚から一生懸命に勉強してきました。和歌山について、紀伊半島について一生懸命勉強している人というのを、最近のものですが考えますと、なんといっても神坂次郎さんの業績が大きいのではないかと思います。神坂さんは実は私の後援会長をずっとしてくださいました。去年亡くなられましたが、神坂さんの本を全部読むだけでも、歴史のことから自然のことから、民俗のことからいろいろなことが沢山分かります。
 同じようなことで作家をされておられる方で、和歌山のことを沢山紹介してくださっている方、津本陽さん、陸奥宗光の奥さんの話をされた大路和子さんなどがおられます。それから辻原登さんも和歌山の風物などを時々あちこちに入れて、いろいろなことを書いてくださっていると思います。
 それから私の前々任の西口勇さんという知事がいらっしゃいました。彼の代表作は、自分の業績がどうのこうのというつまらないことではなくて、『熊野九十九王子を行く』なんですね。こんな立派な知事を持っていた和歌山県を我々は誇るべきではないかと思います。
 それからそのような流れの全体のなかで、例えば世界遺産があれば、語り部の方がたくさんいらっしゃる。その語り部の方がまたジオパークができるとジオガイドになってくださる。そうやって全体としての文化活動を支えてくれていると私は思います。
 それから在野というとおかしいですが、大学だけに限らず、大学も含めて専門家の方々がたくさん綺羅星の如く出てこられたと思います。私が親交のある方で言えば、三尾功さんという方が和歌山の城下町の話をものすごく熱心に勉強しておられました。それから今日いらっしゃいますけど、小山先生とかですね、あるいは藤本先生とか、それから三重県熊野市から来てくださいましたけど、三石さんとか、そういう専門家の方も沢山いらっしゃる。それから、例えば写真で熊野を紹介するような人というと、大上敬史さんの写真集があります。好きだなあと思っていつも見ていますが、そういう人たちなどもいらっしゃいます。
 それから、中学校、高校の先生、これが文化の担い手として貴重だったのではないかと思っています。あとで別の方向から説明しますが、後藤伸さんという人がいて、カメムシの大先生です。そのような方、あるいはジオパークの専門家などもそうですが、沢山いらっしゃいました。
 いま過去形で申し上げました。なかなか現在形で生存が難しくなっている世界です。なぜなら学校の管理が結構うるさいです。私はそれを緩くしようと努力しました。就職が難しいというのもあるかもしれません。受験指導をしてください、という保護者が多すぎてなかなか難しいかもしれません。このような中で、これからはオーバードクターの人たちを、つまらない試験などせずに、面接だけして入れてあげたらいいのではないかというようなことを制度として私は創りました。けれど、まだそんなにたくさんの人が来てくださっているわけではありません。
 現在では亡くなられましたが、田辺の中瀬喜陽さんとか、あるいは現役ですが近大新宮の校長先生をしておられた後誠介さんとか、そういう方々が足跡を継いでくださっているような気がいたします。そういう人たちをどんどん再生産していかないと、文化活動の幅というのは広がらないと私は思っています。
 それから少し異なりますが、例えば特定の分野についてものすごく詳しく勉強しておられる方がいらっしゃる。例えば野球の昔のお話で日本で1番偉いくらいの佐山和夫さんが田辺にいらっしゃいます。彼は『わが名はケンドリック』という本を書いておられます。レディ・ワシントン号の話です。それから同じく田辺の宇江敏勝さんという山の世界の闇みたいなものの雰囲気を魅力的に書いておられるような作家さんもいらっしゃいます。あるいはその先輩にあたる坂口貞男さんという人が『熊野 山ごよみ』という本を角川春樹事務所から書いておられる。昔の熊野、あるいは紀伊半島はこんなだったのかなあというようなことが非常によく分かる、というような世界もあります。
 それから、特定の人というよりもみんなで遺していこう、というような動きが今も十分にあります。例えば古座川の方々は勉強会を創って、古座川の民話を集めて、それで本にしておられる。読むとすごく面白いです。それから海南の方は鈴木屋敷、これを本にして検証しようとしておられる。あるいは和歌祭りの本を出す、和歌浦天満宮の本を出す、というような方々が集まって、少しずつ知識を集めて、一生懸命やっておられるというような姿をなかなか立派な姿だと私は思っております。それからそういうのをまとめて、この小山さん自身がそうですが、オムニバス方式でいろんなお話を集めて、夜話とか、いろんなことを書いておられる人がいます。昔、和歌山放送は人・評伝ということも含めて、『紀州人』という本を作ったり、『和歌山県謎解き散歩』というようなもの書いたりされていました。
 県外の方でも、日本全体でいうと巨星みたいな方で、和歌山または紀伊半島の持っている魅力みたいなものを徹底的に追求して、いろいろな業績を残しておられる人がたくさんいます。専門家でいうと梅原猛さんがそうです。「熊野学」のリーダーだった。今はそんなに進んでいない様な気がしますが。それから中沢新一さんが特に南方熊楠に、あるいは岡潔に着目して、和歌山の魅力をちょっと難しいですけど、語ってくれているように思います
 それから専門家ではないですが、和歌山出身で他のところで大活躍されているような方で熊野の話や和歌山の話をたくさん書いておられる方がおります。例えば、アルミットというアルミ製品をお作りになっている澤村経夫さんという方は熊野の本をたくさん書いておられます。そういうようなことが和歌山の文化全体を支えていると思います。
 最後にこれも自然に関してですが、後藤伸さんを慕う「いちいがしの会」が、後藤さんの原稿録も含めて沢山本にされています。あるいは南敏行さんなどの「熊野の自然研究会」が私の大好きな昆虫の本なんかを出してくれています。それから吉田元重さんという甲虫の専門家がいらっしゃいます。その方は昆虫の世界から滝に行ったり、あるいは狛犬に行ったり、さっき言いましたように1つの領域だけではなくて、領域から次の領域へどんどんブリッジしていくような、そういう営みを示してくれているような人も沢山いるような気がしています。

 しかしながら、このような文化の伝統をもっている和歌山県で、ちょっとどうかなと思うような事もあるわけです。それは4つございます。
 1つは今申し上げましたような方のなかで、大偉人がどんどん亡くなられています。例えば神坂先生が亡くなられました、津本先生が亡くなられました、宮尾先生も亡くなられたし、松長有慶さんが亡くなられました。それから中瀬さんも亡くなられたし、島村さんも亡くなられた。後藤伸さんもそのお兄さんの宏さんもこの世にはいません。たくさんの方が亡くなられていくときに、次から次にまた新しい人が出てくればいいのですが、そうでなかったらどうしようかというようなところもたくさんあると思います。
 2つめは、和歌山県で昔はあったけれど無くなってしまったものを1つあげると本屋です。本屋は沢山ありますが、昔の本屋は出版もしていました。その出版もできるような、文化の拠点としての本屋さん、昔でいうと帯伊書店とか宇治書店とか津田書店とかがありましたが、そういうのが無くなっていると思います。宇治書店は平成23年にはちゃんと本を出していますけどね。
 こういうものかと思うと実は他県に行くとあります。私は昆虫少年ですから、○○県の昆虫とか○○県の蝶とかいう本を取り寄せたりします。そうするとそういう本は地元の出版社が出していて、その出版社のバックナンバーを見ると自然や昆虫だけではなくて、文化全体の話を全部引き受けていて、その地域の文化活動全体を支えているというような感じがします。残念ながら、和歌山ではそれは無くなっているなあと思います。
 3番目はさっき少し言いましたが、中学や高校の先生で受験指導なんかはほとんどいい加減だけど、生徒から見るとあの先生はある分野で日本で1番偉いくらいの専門家らしいよということだけで、子供たちは尊敬しますよね、少し変わっているけど、授業はめちゃくちゃだけど、あの先生みたいになりたいと思うかもしれない。そういうのが文化活動の動機になっている、というのをどうしようかなというのがあるような気がします。
 4番目に溜まり場がない。三石先生のところは溜まり場があると思いましたが、この溜まり場を作っておかないといけない。みんながそこで集まって、切磋琢磨するような、そんなところがなかったら、やっぱり一人一人は独立していて、なかなかお互いに知り合うのが難しい、というようなことではないかなと思います。 

 そこでこれらの問題をカバーするために、公の役割として、第一にこの「溜まり場」を作ろうと。もうちょっと格好良くいうと「知の集積所」を作ろうと。同好の士が集えるようなものを作ろうじゃないか。その同好の士も特定の分野のところだけじゃなくて、多方面の分野の方が集まれば、インターディシプリナリーな議論のなかで、面白いことがどんどん生まれてくる、いうことで学際的な研究環境ができるといいなあと思うわけであります。
 そんなことをしようと思った時、どうぞ民間でしてください、市町村でどうぞというわけにもいかないので、県が中心になって、少し手を貸す必要があるのではないかと思います。
 できれば、なんらかの研究発表やなんらかの知識の集積や、あるいは後進や若手の育成や刺激やそういったことができていけば、紀州学研究会もいいのではないかと思いながら、知事を辞めてしまいましたので、今や公権力を行使してこれを盛り立てることはできません。皆さんのお力で是非この置き土産を雲散霧消することなく、盛り立てていただきたいと思います。私も一会員として、参加をさせていただいて頑張っていきたいと考えています。以上です。ありがとうございます。