人口戦略法案

 和歌山研究会では、月一回の勉強会を開いていまして、研究会会員はもとより、非会員の方もご興味があれば参加できるようになっています。10月の勉強会は内閣参与、全世代型社会保障構築本部総括事務局長の山崎史郎さんをお迎えして行いましたが、とても示唆に富んだお話であったと思います。私も、この案件をまとめるに当たって山崎さんのオフィスをご訪問させていただき、お話をさせていただいたのですが、この人はすごいなあとすっかり魅了されました。そのとき山崎さんの近著「人口戦略法案」をいただいたのですが、この本は小説という形をとって、人口問題、少子化対策の全てを理解させる資料集になっていると思います。素晴らしい本で、私も、現職の知事の時に、山崎さんと知り合いになっていて、この本を読んでいれば、さんざん頑張った和歌山県の少子化対策ももっといいものになっていただろうにと思うことしきりであります。当然当日も聞いて下さった方々も大いに感銘を受けて盛り上がったのですが、その中身は私からご紹介するのも僭越なので、ご興味のある方はこの本をお読みになることをおすすめすることにして、少子化対策で悪戦苦闘した私の思いを少し、申し上げたいと思います。
 和歌山県の少子化対策は、「こうのとりサポート」という不妊治療支援、「紀州3人子政策・紀州っ子いっぱいサポート・在宅育児支援」という多子家庭への経済支援、乳幼児医療費助成、渡しきり大学進学奨学金制度、育児に悩む若い両親のための「子育て世代包括支援センター」、トップも含め組織ぐるみで応援をしようという「結婚子育て支援企業同盟」などですが、悪戦苦闘の結果、出生数全体に占める第三子以降の出生数の割合は増加傾向になってきました。ところが、そもそも未婚の人、子供をそもそも望まない人は増加の勢いが止まらず、コロナで打撃を受けたこともあって、出生率の上昇は限定的でした。
 私も出来るだけ多くの人の意見や意向を聞きに回りました。結婚をするか、子供を産むかと言うことはそれぞれの人生に係わる意思の問題でもあるので、本人以外の第三者がとやかく言うことははばかられます。下手をすると人権侵害になるような問題です。私のような国や地域全体を考える人からすると、若者は早く結婚をして、しあわせな家庭を持って貰って、早くできるだけ多くの子供を作って貰いたいのですが、本人達の意向を無視して、押しつけがましいことを言うことは出来ません。私達夫婦の場合も、結婚は早かったのですが、中々子供が生まれず、その間家族や他人から「子供はまだか」といったプレッシャーもあって、愉快でない思いをしましたので、自分たちがプレッシャーをかけることはしないようにしようと思っていました。今はそういうことを言うと、セクハラだとか、マタハラだとか言われます。
 しかし、社会全体のことを考えると、これでいいのかと思うこともあります。若者の中には、結婚相手が見つからない、所得が少ないので結婚も出来ない、子供も作れないという人や、中々妊娠しないという人もいまして、これは少子化対策の政策が及ぶところであります。今回の和歌山研究会の勉強会の脈絡では人口戦略の政策の対象です。しかし、結婚が出来ない、子供が持てないというのと、結婚はしない、子供は持たないというのは違います。かなり多くの若者が、独身のままで十分幸せなので、煩わしい結婚などしたくはないと言いますし、若いカップルで生活を楽しんでいるのだから子供など要らない、子育てのような面倒なことはしたくないという人もいます。国家の利益が優先された戦前では、世の中の中心的な考えは「産めよ増やせよ」でしたから、こういう人は自分のことばかり追求する非国民呼ばわりされたことでしょう。現代は、一番大事なことは、自分の人生は自分で考えて送るということでしょうから、こういう人の考えも尊重しなければなりません。他人がとやかく言えないのです。
 しかし、こういう考えを持っている人に少しだけ言いたいことがあります。基本的にそれぞれの考えを尊重するとして、2つだけ、コメントを付け加えたいと思います。
 第1に、おそらくこういう人の考えには自分の将来の人生に対する想像力が欠けているように思います。今は活力もあって、一人で生きていても、子供などなくても十分幸せだと思うし、老後の心配は福祉国家日本がおそらく見てくれるだろうから、今を考えていれば良いのだという考えです。しかし、年をとって活力がなくなってきて、病気などしたと想像してみたら、配偶者や子供達がいるかいないかで人生の寂寥感が随分違うのではないかという点に気がつくと思います。
 第2にこれがもっと深刻なのですが、想像力の欠如といえば、社会の将来に対する想像力が欠如していると思います。人はそれぞれ自分の人生のあり方を考えますが、皆が皆今が楽しければ良いのだ、子供など持って苦労をするのはいやだと思ってしまったらどうなるでしょう。一種の合成の誤謬のようなものが起こります。まず、多くの人が子供など要らないと思ったら、少子化はどんどん進みます。社会はどんどん人口が減り続けるばかりか、高齢化がどんどん進みます。そうすると我々が築いてきた社会保障の制度も、働いて保険料や税金を納める人がどんどん減るから、維持出来なくなります。老後は社会が面倒を見てくれると思っていたら、面倒を見切れない事態になるかもしれません。
 こういうことを言うと、個人の自由を侵害し、尊厳を傷つける悪いやつだと言われそうですが、あえて申し上げました。戦前のように、「産めよ、増やせよ」という国家意思が強い社会というのも好きではありませんが、我々が社会を維持し、それが全ての人の幸福を保証するという観点から申し上げれば、全ての人が自分の考えや行動が社会全体にどういう影響をもたらすかは考える責任があるような気がします。国や社会の行く末に皆がもっと責任を持つべきです。そして、よし、それでは早く結婚して、子供も早くつろうと思ってくれた人が、いろいろな障害でそうはできないというのなら、そのときこそ政策でこれをカバーして差し上げるのが行政の責務です。