シャリンバイ その2 -真の地方分権とは何か-

 前号で活を入れて、地元でビシバシ監督するために、国土交通省の地方整備事務所は県に委譲してしまえという意見を申し上げました。
 
 ずっとかけ声だけで中々進まない地方分権ですが、全国知事会の主張や世論の後押しで、最近はそれなりに進展を見せています。
 国が地域主権戦略会議で、地方支分部局の一括委譲ということを決めたのです。地方支分部局というのは、国の出先機関で、ブロックに○○整備局とか、○○経済産業局とか大体省庁別の組織があります。近畿では、農政局が何故か京都にありますが、後は大体大阪にあります。一部の機関はその下にまた各地域別の組織があるものがあって、当県では近畿地方整備局の下部機関として、和歌山河川国道事務所と紀南河川国道事務所とか、各地にハローワークがあったります。

 では何故このような出先機関の一括委譲がクローズアップされるようになったかというと、各省庁が抵抗して、仕事単位の権限委譲が中々進まないからです。
 そこで考えられたのが、地方に位置している出先は、その地域の自治体に渡してしまえというアイデアでした。ところが、これも色々と抵抗があって、あれはいかん、これもだめ、という各省庁の意見が強いので、つべこべ言うのだったら一括して移してしまって、整理合理化は地方にやってもらおうという政府の決定があったのです。考えるのが難しくて面倒なことは人に委せてしまおうという現政権の考えがよく出ている例だと思います。しかし、この考え方は、地方分権を熱心に推進している知事さん達の考え方ともよく合います。私もそうですが、全国の知事さんは、地域の事をどうしようという点について情熱と見識を持っています。そのあまり、地域にありながら知事のコントロールに入っていない組織があるとあまり快くないのです。(この点は私は違います。国の機関でも民間でも完全にコントロールできなくても、きちんと理を尽くして働きかければ、県が考える方向に進んでくれるだろうと思っているからです。そのかわり、他人の組織であっても、注文は徹底的につけます。したがって支配下に入れる必要は必ずしもないと考えています。)

 そもそも地方分権については、私は、それこそ知事になる10年以上も前から、それに反対する自治省や建設省、農水省の諸君と大論争をしたような筋金入りの分権論者だと自負していますが、最近の流れには危惧する所もあります。(1997年版経済企画庁地域経済レポート参照)

 第1は、地方分権の基本哲学が「地方に移せるものは移せ」ということであることです。一見正しいようですが、何でも移せばいいというものでもないと私は思います。省庁の抵抗も困りものですがそれがなくなって、外交や防衛以外の国の機能を全部地方に移してしまったら、それは国の制度が地方毎にバラバラになるということです。江戸幕藩体制に逆戻りではいけません。
 この国のあり方を規定しているようなもの、例えば、社会保障制度や義務教育といったものは、地方バラバラでいいはずがありません。地方分権というのは、地方の自己責任です。ということは、地方毎に懐具合に応じて制度が変わっても仕方がないということです。その時、財政力の弱い地方が、社会保障も十分にできないということで何がニッポンなのでしょうか。

 第2に、経済制度もバラバラでは日本が沈没します。地方分権論者は、地方分権のために法律で統一的に決まっていることを条例による上書き権を認めることで自由にさせよと主張していますが、世界を見ると、むしろ、基準原理など経済制度を多国間で統合していこうという動きにあります。NAFTA、拡大EU、ASEANなど皆そうですし、さらに、そこまで行かなくてもFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)によって経済制度を統合して、その中で企業活動を容易にして力をつけようと世界中が動いているのです。その時1億2千万人の統一市場(今はこれでも小さくなっているので、国際的統合に走っているのです。)であった日本が、地域ごとに制度を割ってしまったら、企業など皆日本から逃げてしまうでしょう。
 
 第3に、高速道路の全国整備もこういった国が統一的に行わなければならない事業の1つです。どこにどのような順序でどのレベルまで高速道路を作るかはまさに国が行わなければならないことです。かつての日本は、鉄道と国道でこれをやりました。産業活動や観光といった観点のみならず、国防とか物動といった観点から国が国土をきちんとコントロールするということは政治のイロハです。それを、財政も大変だし、陳情をされるのも嫌だから、もう地方が勝手にやれというのでは困ります。整備が後回しにされ、これからという当県はもっと困ります。
 
 こうした点を考えると、国が日本の国としてあるためにどんな仕事を断固残さなければならないかとまず考えて、その残りは地方で御存分にと言って、すべて委譲すればいいのではありませんか。ところが今の国は、この国の形を崩さないためにはこれだけは断固やってやるぞという気概がありません。だから、自分で国に残すべきものを考えられないから、「できるだけ地方に」そしてそれもせっぱつまると「出先はすべて地方に」ということになるのではないでしょうか。
 地方側でも、こういう考えでいる人はそう多くありません。ほとんどの人は「できるだけ地方に」に無条件で賛成で、中々それが実現しないので、この際荒療治で出先機関の「地方への丸ごと移管だ」ということになっているようです。

 さらに、もっと冷静に地方支分局の移管の話を考えると「本当に移せるか」という議論があります。先に例に挙げた、国道の維持管理を行う限りでの国交省地方整備局などは、私は100%移せると思うし、移すべきだと思います。しかし、それが可能なのは、その移される支分部局の仕事とそのための財源がきちんと決まっているからです。おそらく、全国各地の国道事務所に国道の維持管理のために回されるお金は、道路の総延長距離など客観的な基準で決まっていると思います。しかし、どこに国道のバイパスを作るか、どこの高速道路の建設を優先させるかといういわゆる箇所付けの議論は、国の本体でないと決められず、出先に決定権はありません。そうすると、どういう仕事をするかを自分で決定するという地方分権のもっとも大事な所は地方から抜けてしまうでしょう。それなら、いっそ人口などで各ブロック別の配分を決めて勝手にやってもらおうかということも考えられますが、地方で地域別のインフラの進捗を勘案したり、全国的なネットワークの将来像など考えたりすることはどうやって可能なのでしょう。
 経済産業局など中小企業のけっこう華やかな振興を手がけているし、外から見るとシンクタンク的だし中々魅力的なので、これをいただいてしまおうという動きもありますが、シンクタンク的機能は、ほとんど本省の力によってなり立っているし、補助金の付与の合否は、実は局からの情報進達に基づいて本省がやっているのです。したがって、例えば、立ち入り調査や施設検査のようなやり方が決まっているものは移すことはできるが、移して分割してしまえないものもあるということを認識すべきでありましょう。さらに言うとこうした検査のようなものはその基準は、日本全体で統一的に本省が決めるしかないので、検査のようなものを委譲してもらったからといって、あんまりおもしろくないことも事実です。

 地方分権には、このようにまだまだ解決しなければならないことがたくさんあります。しかし、実際にどう委譲するかには必ずしもかかわらず、仮に国が実施している事業であっても、県と県民に関わることであれば、「人のものは自分のもの」のセンスでどんどん注文を出していくべきでしょう。そのためには、「国がおやりになること=人のもの」と言って思考停止にならないで、すべて県民のために「自分で」考える必要があるでしょう。
 それが本当の「地方分権」の精神だと思います。