ダブルチェック

 この度の東日本大震災は大変な災害でしたが、中でも福島第1原子力発電所の事故とこれに対するその後の政府の対応が、日本の悲劇を一層厳しいものにしています。その不手際の多くが経済産業省の原子力保安院にあるということが言われ、それは、エネルギーの確保を図るため原子力発電を推進する立場にある経済産業省の資源エネルギー庁の中に安全規制を行う原子力保安院があるので、安全規制に手ごころを加えがちだからこんな事故が起こったのだ、だから、原子力保安院や原子力安全委員会は、原子力発電の推進と関係のない環境省に移してしまえということになりました。

 私は実は昭和52-53年頃今の内閣府の(原子力安全委員会の担当もしています。)原子力部門の前身である科学技術庁の原子力安全課におりまして、原子力安全規制体制の改革に従事しておりましたので、多少この辺の知識もありますし、3.11以来の菅総理以下の政府の動きや、今回の組織再編につながる動きには、いささか思うこともありますので書かせてもらいます。

 当時の原子力安全規制の改革の発端となった事件は、原子力船むつの放射能漏れでした。不幸にもこの事故が起きた時、当時の政府はうまく対応できませんでした。そればかりか、その責任を複数の省庁が押し付け合うというみっともないことになったのです。当時の原子力船の規制は安全を確保するための基本設計の規制が科学技術庁、工事になってからの詳細設計と工事監督が運輸省でした。運輸省は、放射能漏れの原因は基本設計が悪かったのだと言って、責任は科学技術庁にあると言い、科学技術庁は基本設計は良かったのだが、詳細設計と工事許可が杜撰だったので責任は運輸省にあると主張したのでした。このように1つの機器の安全規制の担当が前半と後半で分かれている構造は原子力船のみならず原子力発電所でもありました。
 前半の原子炉の設置(基本設計)許可が科学技術庁、後半の(詳細)設計及び工事の認可が通産省だったからです。そもそも何でこんな無責任なことが起こるのかと言うと、責任が複雑に分かれているからだという認識から、ついては、1つの機器ごとに一貫して責任を負う官庁を決めて、人のせいにできないようにしてしまおうということになったのです。そこで、商業用発電炉の規制は通産省、研究開発用原子炉の規制は科学技術庁、そして原子力船の規制は運輸省ということになりました。
 しかし、運輸省は船舶を振興したい役所だし、通産省は発電所をどんどん作ってエネルギー確保をしたい役所だし、科学技術庁は研究開発を進めたい役所だから安全規制で手ごころを加えるかもしれません。したがって、原子力安全委員会というのを作って、行政庁の行った安全審査をダブルチェックし、安全規制がいい加減にならぬように目を光らすのだということにしました。当時原子力安全だけを切り離して、しかもこれを公取のような行政委員会にして原子力安全規制委員会を作ろうという案もありましたが、行政委員会という閣外の機関を作るのは、政治統治の面から抵抗がありましたし、何よりもただでさえ少ない原子力の専門家を例えば、推進の通産省と規制の行政委員会に分けてしまうと、十分な人が採用できないのではないかという観点から、上記のような案に落ち着いたのでした。
 とは言え、原子力安全委員会は、何よりも政治から中立でないといけないし、推進のために安全を犠牲にしてはいけないので、推進を主たる任務とする原子力委員会から切り離し、かつ、原子力委員会が委員長は内閣総理大臣となっていたのに対し、政治の干渉を排するため、純粋に学識経験者だけで構成したのでした。また原子力安全委員会の下に十分な数の役人を有する専門の事務局も作りました。
 こうして左から右から、上から下から様々なメリット、デメリットを考案して、ダブルチェック体制が出来たのです。

 その直後、米国でスリーマイルアイランドの事故が起こりました。原発の安全神話が崩れた瞬間でしたが、安全規制を担当する通産省は、その事故をも念頭にもう一度安全審査をやり直し、それを原発の地元の方に説明し、私のいた科学技術庁は、それまでまったく手薄だった万一事故が起きた時の原子力防災対策を、大急ぎで再構築し、そして、それらをきちんとダブルチェックした上で原子力安全委員長の御園生教授やその他の専門家の先生が原発の立地する各地へ大いに説明に出かけたのでした。私自身も福井県に6回、島根県や佐賀県に2回と、各地を飛び回りました。
 そういう私からすると、今回の福島第1原発に関する政府の対応は大変奇異に映りました。
 まず、責任を持って安全規制をきちんとやっているはずの経産省が中々表に出てこない。出て来たと思ったら、必ずしもトップでない役人がTVの前で、自分の身を守っているとしか思えないような責任逃れのあやふやなことしか言わない。ようやく西山審議官が出て来て確定的なことを勇気をもって言い出したと思ったら、部下との浮気がばれて失脚してしまいました。大臣はどうしたというのが私の感想でした。かわりに枝野官房長官や菅総理がどんどん出て来て、あーせいこーせいと言い、菅総理に至っては、とうとう自分が現地を見ると言い出して、打つべき対策のタイミングを狂わしたと言われています。安全問題のような問題には政治干渉を排して、純粋に科学技術的知識に頼って判断するように原子力安全委員会のチェックを用意していたはずではなかったか。そして、その原子力安全委員会やその長の委員長の働きがまったく見えない。まるで菅総理の私的アドバイザーのようになっているというのは、どういうことであったか。菅総理がシロートの知識で何を言ってもそんなことは放っといて、安全の確保のために経産省を指導し、それを国民に自ら説明すべきではなかったか。私は大変残念でした。

 せっかくのダブルチェック体制もかくて機能しませんでした。私は今でもあの制度の設計は間違っているとは思いません。事態はあまりにも深刻だったから事故の収束が劇的に良く出来たとも限りません。しかし、少なくとも何も知らぬ政治家がしゃしゃり出、ダブルチェックを担う最後の砦を守る原子力安全委員長がどっかに隠れてしまい、経産大臣がどこにいるかよく分からないという事態よりも国民には、ましに映ったろうと思います。

 経産省は、大いにドジを踏んだのですから、省が解体されて、原子力安全規制担当の部局が環境省に移るのは、やむを得ないことかもしれません。しかし、その動きが、原子力を推進する連中が安全規制をやっているからこうなったのだというだけでは、本質を見誤っていると思います。移す結果、ただでさえ、手薄になってきている原子力技術者の人材をどう確保するかという問題も、これによってより深刻になるでしょう。
 本当は、あの25年前、現在のような制度を作った時に、皆がどうすれば一番良い解が得られるか、ワイワイと言いながら検討した情熱と知恵がほしいと私は思うのです。

 制度はどんないい制度でも、それを動かす人々が制度のもとになる理想や原理を十分心得ていなければうまく行きません。制度の精神を忘れてはならないのです。我々制度を作り、運用する立場にある者は、いつも心しておかねばならないと思います。