沢田研二さんの歌に「ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった」というフレーズがあります。私は、和歌山市に1950年に生まれて18歳までずっと育ちました。今からよく調べてみますと、その頃の和歌山は様々な点で「良かった」のです。もちろん所得も、生活水準も今の方が上ですが、日本全体の相対的位置付けからすると、所得も工業生産高も、町の賑わいも、今よりもずっと高かったのが当時の和歌山でした。子ども心にも、この辺の感じはありまして、同じ地方圏でも他の地域よりもましな気がするなあと思っていました。
その気持ちが、油断になって、というのがきつすぎるなら現状で満足する余り、和歌山は、急速に変わりながら発展する日本経済の中で取り残された感があります。日本も世界も急速に成長分野を伸ばす中で、和歌山の製造業の70%は昔も今も石油と鉄鋼と化学と同じです。何もミカン畑をつぶさなくてもと消極的だった高速道路は整備が遅れ、他の地域がそれを利して様々なチャンスをものにしていく中で、段々と全国から切り離されるようになりました。無計画な住宅地の拡大が都市を寂しいものにしてしまいました。発展から取り残されたために、残ったはずの美しい自然も、本来なら貴重な資源なのにアクセスの不備で必ずしも十分には売り出せないでいます。
しかし、我々はそう嘆いていてはいけません。歴史的に紀州人は困った時こそ人以上に頑張ってきたのです。インフラを正しく整備し直し、ずるいことをして儲ける種は廃し、新しい産業を育て、貴重な自然と景観と文化を守り、福祉医療を支えつつ、歯を食いしばっても次世代の若者を立派に育てるという次の飛躍のためのスタートを和歌山は既に切っています。
いつか良くなった時代の人々が「今から考えると、あの時代が一番辛かったんだなぁ」と思ってくれるように、今の我々は頑張ろうではありませんか。