私は、いわゆるIT音痴で、スマホ、PCにかかわらずIT機器にからっきし弱くて、その道の達人に教えてもらって、何とかやっています。もっと正確に言うと、教えてもらってもうまく扱えないと思われるような時には代わって設定をしてもらったりして、大層迷惑をかけています。実は今から45年ほど前には、私は、今ほど一般的でなかった情報の世界で、情報化の旗手として、専門誌などに頻繁に投稿するなど分かったようなことを言っていました。そして、職業柄当時の通信制度によってがんじがらめの規制を受けている世界では日本経済が世界に取り残されると思って、通信回線開放運動の旗を振っていた人間ですから、何という落ちぶれ方でしょう。それでも、結構昔取った杵柄でITの世界の概念は分かるのですが、自分で扱えるかというと全く別物で、まるで無能です。言い訳をすると、ちょうど私が通産省の役人をして、ブルネイの大使をして、和歌山県の知事をしてきた時代に、ITの世界はどんどん進んだのですが、私のほうも、部下ができ、自分でIT機器の操作を覚え、習熟するよりは、部下にIT機器でこういうことをしてと指示を出して、それを利用して実質的な仕事をしたほうが効率が良いという事情があったというのがたたったという事情もあります。しかし、これは言い訳で、同じような境遇の人が、忙しい中でITの使い手になって立派にやっておられる場合もありますので、私はただ怠けて楽をしていただけなのです。私は特にタッチが遅いので、自分で全部やっていると時間がうんとかかります。若い人はそれが速いし、基本的な表計算ソフトや資料ソフトにとても習熟しているので、ついつい依存してしまったのでした。また、先述のように、こうすればこれとこれの相関のアウトプットが出せるはずだなどという概念だけ頭でっかちに少しかじっているものですから、部下に指示も出せるわけです。それがいけません。知事をやっている時は、こういう部下もいっぱいいますから、それで何とか過ごせていたのですが、知事を辞めると、そういう人は一挙にゼロになって、何から何まで全部ひとりでやらないといけません。えらいこっちゃと、辞める少し前スマホを買い込んで、それまで使っていた、ガラパゴス携帯からスマホに移しましたが、これを使って何かをやろうとすると、何事も時間がかかりうまくいかず、ずいぶん苦労をしています。いろいろ勉強せねばと思いつつ、本来の怠け癖が出て、なかなか進んでいません。それでもごまかすのが上手いので、生意気にもPowerPointで資料を作って(昔の資料を直しただけですが)、講義や講演に使ったりしています。また、自分にとって圧倒的に便利だと思うのは、スマホの音声入力です。もちろん直さないといけませんが、タッチが異常に遅い私にとってはとても便利で、スマホで、音声入力を利用して、SMSで対話し、スケジュール管理と連絡帳管理をしています。備忘録もつけていて、最近では読んだ尻から忘れる本の読書録をスマホに残しています。
しかし、いいことばかりではありません。最近はどうもスマホに支配されているような気がします。何か別のことに熱中していても、スマホのメールやメッセージが届いた音がするとそちらに関心が向いてしまうのです。また、すぐに調べられるので、ニュースをチェックしたり、今日の大谷君はどうなったかを見たくなったり、はては株価はどうかななど、売り買いもしないのに知りたくなります。そういうことで、意外に時間を使っていまして、本当はやりたい読書や、資料の整理や、昆虫の標本の整理などがどんどん疎かになっています。結構時間はあるくせに、実につまらないことにスマホでかかづらわりになってしまって、時間を浪費しています。また、読書をしていても根気が続かなくてすぐやめてスマホ情報が気になるし、読んだことが頭に入りづらくなっているように思います。頭が悪くなってきたようです。これはとてもまずいのではないかと思います。
実はこれほどひどくなるとは思ってはいなかったのですが、少しそういう懸念もあって、スマホの使い方には注意していました。私は、スマホを買った時からもともと入っていたヤフーニュースは見ますが、そのほかのアプリはできるだけ使わないようにしているし、SNSも敬遠し、特にグループチャットからは逃げています。お友達には簡単にならないぞ、知らない人とやたらと関わりになる必要はないという考えです。また、スマホで昔の映画など見ている人がいますが、意志の弱い私はすぐに中毒になってしまうと考えて敬遠していました。しかし、こういう態度は、世の中の動向から見て、またまた依然としてガラパゴスのようであります。若い人と一部の先進的お年寄りからは完全に置いて行かれています。
私は、そういうわけで、世の中の人がスマホとどう関わっているのか興味がありますので、知事の時代から電車に乗ると、周りの人々のスマホの使い方をよく観察していました。電車の中では、今も昔も日本人は居眠りが多いのですが、そのほかの人は、昔は本を読んでいました。本の中には雑誌も含まれます。漫画週刊誌も含まれます。いい年をした若いサラリーマン風の人がそういう漫画誌を一生懸命読んでいるのを見て世も末だと批判している人もいました。ところが、最近は紙の本の代わりにスマホを見ている人が多数になりました。数年前の時点で、スマホ60%、本20%、何もなしでいる人20%というところでしょうか。スマホの人が何を見ているのかと思ってのぞき見をしてみると、電子書籍を読んでいる人が4分の1、ゲームをしている人が4分の1、チャットでおしゃべりが4分の1、広告、ショッピング情報などを見ている人が4分の1というところだったでしょうか。この中で、電子書籍を読んでいる人に対しては、私は、そうか世の中はそういう風に変わって行くんだなと少し尊敬の念をもって見ていました。ところがほんの数年で世の中がまた変わりました。今や紙の本を読んでいる人は私を含めて5%くらいでしょうか。何もしない人の20%は変わらずで、残りの人はスマホをいじっています。その中身も変わりました。電子書籍は漫画以外最近ついぞ発見できていません。ゲームか、昔の言葉で言うとネットサーフィンか、それより多いのはチャットです。電車の中ですから、皆さん音声入力ではなくて、親指の目にもとまらぬスピードのタッチで簡単なメッセージを作って送り、あっという間に返事が来て、またあっという間にレスポンスしています。そういうことですから、内容のある情報のやり取りをしている風には見えず、例えていうと、昔、あんまり賢しこそうに見えない女学生が、お互いに「うっそー!」、「ほんとー?」、「すっごーい!」とばかり言っていて、大人の顰蹙を買っていたあれに近いかなと思いました。こういう情報交換もその人にとっては有用なのでしょうが、その人があんまり賢くなっているとは思えません。こういうやり取りのためにスマホとにらめっこしているのですから、ほかのことが出来ません。ゲームもしかり。私のようなおじさんとしては、次世代を託す若い世代がそんなことで時間の空費をしていてどうする、時間があったら眠たくない時には本でも読んでいたらどうだ、馬鹿になるぞと思うのであります。このままではどうなってしまうのだろう。そう思っていたら、同じことを考え、しかも、そういう現象に、ちゃんとした調査と科学的考察を加えて警鐘を鳴らしている人の本に巡り合いました。
スウェーデンのアンデシュ・ハンセンという人の書いた「スマホ脳」という本です。新潮新書から出ています。
②(全2回)へつづく