和歌山県に「紀州梅の郷救助隊」という組織があります。和歌山県は梅の栽培では圧倒的に日本一で、全国シェアは毎年50%をかなり上回っています。その主産地は、和歌山県の中部のみなべ町、田辺市で、山がちの地形をうまく利用して、山の斜面を利用して梅を栽培し、斜面の上部には広葉樹の林を残して、そこで養蜂をして、蜂蜜を取るとともに梅の受粉を図り、梅園の下部は畑やため池を作って、自然の水循環によって、梅栽培を行っています。このシステムは、2015年に国連世界農業機関(FAO)の世界農業遺産に認定されました(この認定にも結構エキサイティングな経験があるのですが、本旨から外れるので省略します。)。梅農家は長い時間をかけて大変な努力をして、条件の悪い農地に梅産業を作り上げたのですが、梅の多くは梅干しや梅酒に加工され、健康ブームに乗って結構需要があるものですから、今や隆々とした梅農家に成長しています。その農家の方々が、志を立てて組織化をし、縦横無尽に活動しているのが、「紀州梅の郷救助隊」です。ここにはこの活動の提唱者で、ずっと隊長を務めてきた尾崎剛通さんという人がいて、この人から、紀州梅の郷救助隊が結成して30年を迎えるので、式典を行い、記念誌を発行したいので、いつも我々を評価してくれていた仁坂元知事には式典にぜひ来ていただくとともに、記念誌に何か投稿をして下さいと言うお願いがありました。それは素晴らしいことだと思いましたが、式典にお呼びいただくのはありがたいことだが、退職したものがしゃしゃり出ては現職の知事に悪いので、式典は遠慮したいが、投稿は喜んでやらせてもらいますとお返事をしました。
式典は2025年11月に盛大に行われ、私の所にも、私の寄稿文が入った記念誌が送られてきました。
この紀州梅の郷救助隊の活動が生まれたのは、1995年の阪神淡路大震災の後です。この大変な災害を見て、当時から熱心な消防団員であった尾崎さんは、当然出動命令があると思っていたし、消防団有志でも救援に行くべきだと思っていましたが、命令はなく、結局は駆けつけることが出来ませんでした。しかし、あとで、ニュースなどで、マンパワーが圧倒的に足りなかったということを知り、災害が起こったら直ちに駆けつけることのできるボランティアの組織を作っておかなければならないと思って、仲間と語らって作ったのが、この紀州梅の郷救助隊です。紀州梅の郷救助隊は、その後日本各地で災害が起こるたびに、60回になんなんとする出動を繰り返してきました。要請があろうとなかろうと、災害が起こっている地域があると、すぐにメンバーが集まって、機材を積んだ車両を引っ張り出してきて、行けるだけのメンバーと、いささかの梅干しや、のちに加わることになった「うめママ隊」の方々の作った炊き出しおむすびが、悲惨を極める被災現場に到着して、活動が開始されます。
私は2006年2月から和歌山県知事を務めることになったのですが、いろいろ勉強をしていて、この紀州梅の郷救助隊の存在を知り、素晴らしいことだと思いました。ちょうど、その頃、和歌山県で素晴らしい活動をしている人々を、私がインタビューしてそれを発表し、顕彰する「いきいきトーク」という試みをし始めましたので、そのいきいきトークの相手に尾崎さんをはじめ、メンバーの方々に出ていただきました。紀州梅の郷救助隊こそ、それにふさわしいと思ったからです。
その時多くのことを学びました。心を打つものとして、記念誌に載っていますが、次の言葉があります。
「自主・自由・自己責任。来るもの拒まず、去る者追わず。誰もやらないからやるのではなく、誰もやらなくてもやる」
素晴らしい言葉だと思います。特に最後の言葉は重いと思います。
現代の世の中は指示待ち人間でいっぱいです。会社や役所の中でもそうですが、ボランティア活動の世界でも、どこかのオーソリティがお願いに来たら出動することが多いでしょうが、その時に、ここはやる人がいないので頼みます、すなわち、誰もやらないからやってくださいというお願いが来ることが考えられます。もちろんそれに応えることはとても立派なことで、やる人がいないような嫌な作業を引き受けますというのだからすごいことです。でも、「誰もやらないからやる」ということは誰かがやらなければいけないということ判断しているということが前提です。その判断がなければ始まりません。しかし、梅の郷救助隊は、「誰もやらなくてもやる」というのですから、その行動の前提に誰かほかのオーソリティの判断はいりません。災害対応はこれだと思いました。私はその時、新米の知事ですから、災害対応などしたことはありません。経験がないのだから何事にも自信がありません。頭の中の知識による災害対策基本法の義務をこなし、難しい判断は国に任せるというのが安全です。実は、災害対策基本法の役割分担はずいぶん市町村に比重があります。強力な装置と人的、経済的。技術的資源を持っている国と市町村の間を繋いでいるのが県という訳です。しかし、状況により、これでは済まないことがあります。県独自でも、関西広域連合でも応援に行った東日本大震災の時は被災地の沿岸部の市町村は壊滅的打撃を受け、その機能はほとんど期待できません。現地は悲惨な混乱です。しかし、その時に応援に行った和歌山県部隊が見たものは、どうなっていますかと市町村に報告を求め、それを取りまとめて国に報告することに終始していた県庁の姿でした。県庁の存在する内陸部の被害は予想をはるかに下回るものだったのですが。(もちろん多くの部門で、皆さん必死で頑張っていたのは事実ですが。)
こういう時、紀州梅の郷部隊ならどうするだろうか?おそらく、法律の原則がどうであれ、自分たちが必要だと思ったところに直ちに出撃しているだろうと思います。紀州梅の郷救助隊とのいきいきトークは東日本大震災の前でしたから、東日本大震災の時の出来事にかこつけて私がそう思ったわけではありませんが、災害対応のような危機に際しては、こういう風に行動しなければいけないのだなと胸に落ちました。これが、私の率いた和歌山県災害対策事業の原点です。
和歌山県では、東日本大震災で応援に入ったことがまだ生々しいその半年後、紀伊半島大水害(命名者は当時の荒井奈良県知事です。三重県も含めて3県が力を合わせて、災害対策に取り組み、多大な国の支援を勝ち取れたのは荒井知事のリーダーシップのおかげです。)に見舞われました。その時の私の恐怖と重圧はものすごいものがありましたが、開き直りと火事場の馬鹿力とでもいうのでしょうか、和歌山県のあらゆる資源を投入し、国には最大限助けてもらいながら、市町村を抱きかかえて何とかこの危機をしのぎました。
この紀伊半島大水害に際する和歌山県の災害対策の中で、紀州梅の郷救助隊の方々との対話は、東日本大震災の教訓とともに、実際に行った災害対策に生きています。
被災市町村に災害対策基本法の分担を超えて応援に乗り込んだ県の緊急機動支援隊、同じく法律の分担を超えて産廃業界に協力を願って達成をした膨大な量の瓦礫、災害廃棄物の処理、自衛隊への道路の啓開依頼、ごく初期からのボランティア導入による泥のかき出し、救援物資の必要な時だけの受け入れとその迅速な現地配送・・・・・・これらは、制度上決められていることではありません。今そこにある危機があって、それを救うためにはあえて決められていること以外のこともやらなければいけない。私は、災害対策の司令官として、結構強引に今本当に必要だと思われることを迅速に行うように命じました。正義に反すること以外は制度は後付けでもなんとかできる、人々を救うためには、「誰もやらなくてもやらなければならない」。その時私の脳裏にあったのは、紀州梅の郷救助隊の方々の行動でした。
行政で必要なことは実行です。決意表明や、綿密な計画や、PR活動はそのための前提にすぎません。紀州梅の郷救助隊は、梅農家のボランティアらしく、ほとんど宣伝もせず、説明もあまりせず、仲間で力を合わせて災害対策の現場に駆け付けました。
災害が起こると、人間は心優しいから被災者が可愛そうだと思います。何とか力づけてあげようと思います。東日本大震災の時、素晴らしい歌が出来ました。「花は咲く」です。初めこの歌をNHKで聞いた時、とても感動しました。日本人はこうして被災者を励ましているのだ、何といい話ではないかと思いました。歌も素晴らしい出来だったと思います。きっと神様が作詞作曲家に味方してくれたのだろうと思いました。この歌は歌手を変え、NHKが流し続けました。おそらく私のように共感を持つものが多かったのでしょうか、この歌を流す時間もだんだん増えていったように記憶しています。そのうち、共感を感じるからでしょうが、この歌を歌う歌手もどんどん増えてきて、しまいには、政治家や地方自治体の長まで歌い始めました。へそ曲がりだからでしょうか、私は、このあたりからいい加減にしろと思い始めました。もう日本人はすべて、被災地が気の毒だ、何とか助けようと十分思っている。後は具体的な実行ではないか。被災地から遠くの暖房のきいた録音室であの歌を収録しても、冬のさなか寒い東北で助けを待っている人はうれしいだろうか。初めはうれしかったに相違ない。その後も少しは嬉しいだろう。でも、本当にうれしいのは災害の復旧が進み一日でも早く元の生活が戻ってくることではないのか。と私は思うようになりました。歌手は歌ってもいいけれど、高額所得者なら少しでも拠出をして欲しい。災害対策の責任者なら歌を歌っている暇があったら、寝食を忘れて災害復旧の実行に尽力してほしい。そして、現地へ行って泥かきなどできることをして差し上げるべきではないか。紀州梅の郷救助隊の方々なら、きっと歌ってなどいないで救助車を現地に走らせているに違いない。私はそう思って、NHKのあの歌を聴くのが嫌になりました。本当に素敵な歌ですが。
ならば、自分はどうかというと、現地に飛んで行って、泥かきに従事したわけではありません。ただ、県や県内企業を動員して被災県を応援し、あわせて、自県でこれが起こったらどうすべきであるかのシミュレーションを防災部隊と秘かに行っていただけですから、決して偉そうには言えません。実は現地には発災後2年を経て初めて入りました。言い訳のように聞こえると思いますが、これはそうしようと思ってそうしました。災害が起こると多くのお見舞いの賓客が見えます。中には政府の当該部門の高官など本当に役に立ってくれる人もいますが、遠い県の知事のようにお見舞いに来てくれる人や視察に来てくれる政治家もいます。実は、私も後でわかったのですが、被災地を訪問する人は世論から好感をもって迎えられます。政治家の皆さんが沢山お見えになるのは決してそのためではないのでしょうが。しかし、その人が役に立ってくれるかどうかにかかわらず、災害対策の司令官として一時も目を離せない知事のような人も、相応の人がお見舞いに来て下さるとその接遇やご説明に当たらなければいけません。私は人気はあまり気にならなかったので、当分は私のようなものが現地へ行ったら迷惑だろうから、行かないことにすると決めていて、もっぱら現地に応援で入っている職員から災害対策の実情について情報を取っていました。それに、半年後には紀伊半島大水害が起こって、自分の方が大変なことになりましたから。それをかなり早めに片付けて(この災害復旧の早期完了という点に関しては、そのために意識して努力をし、過去例を見なかったようなスピードでそれを完成させたことは、私や和歌山県庁の誇りですが。)、実際に現地に行って、慰霊をし、お見舞いをし、勉強をさせてもらったのは2年の歳月が経ってからになりました。
ただこの間も、少しは和歌山から何とか現地の方々のお役に立ちたいと少しは努力もし、働きかけを「実行」もしました。一例をあげると、災害関連死の防止協力提案です。あの時は、災害も巨大ですから、被災者の方々はなかなか体育館などの避難所から移れないでいました。そうすると、お年寄りなど体力の弱い人たちが体が弱って、命を縮めてしまいます。これを災害関連死というのですが、これを察知した私は、和歌山県の旅館、ホテルで5000人分の室を確保し、災害救助法で支給される、当時では5000円で一泊3食付きの温泉付き宿泊所を用意しました。和歌山県は有名な温泉地ですから。被災者でも屈強な人たちは、被災した住居の片付けなど色々現地でやることがおありでしょうが、体の弱いお年寄りがそういうことに従事することは無理だし、むしろ劣悪な避難所生活で命を蝕まれることを心配したほうが良いと考えました。そこで準備状況を先方の知事に電話で説明して、希望者があればバスを仕立てて迎えに行って、ちゃんとした住まいが出来るまで温泉に入りながら待ってもらったらどうでしょうと提案をしました。そんな安い料金で旅館、ホテルが協力してくれたのは、被災同胞への同情に加えて、あの大震災以来観光客などなくなってしまったという事情もありました。しばらくして、先方の答えが返ってきましたが、「間に合っています」とのことでした。そんなはずはないのではないかという気持ちもありましたが、お年寄りの方にとっても、いくら楽な生活が待っていると言っても、故郷を離れる気にならなかったのではないかという気もします。余談になりますが、この経験は半年後の紀伊半島大水害の時に役に立ちました。全く同じオペレーションをして実行し、おそらく何人かのお年寄りや障害者の災害関連死を防げたかと思います。
話が拡散しましたが、災害が起こったというような悲惨な現実を前に、我々がなさなければならないことは、もちろん、まずは同情と共感の気持ちを持ち、それを歌のような手段で発信して、被災者を励ますことだとは思いますが、それに留まっていてはいけません。いつまでも、私は心の中で励ましているのだと言うことだけでは済まないし、ましてや、災害対策にかかわる者が、それに和して歌を歌っているというのでは情けないと私は思いました。それで、あの歌がNHKからこれでもかと言うほど流れてくるのがだんだんと嫌になりました。
もう一つ、お話をします。ある時、東京の名門女子校の小学生か中学生が手紙をくれました。被災地に頑張れと言って手紙を送りたいので、手紙の末尾に、全国の知事さんにショートメッセージを書いてほしい、一緒につけて送るからというのです。これを持ってきた部下は、いいお話だから書いてあげたらどうですか、他の知事もほとんど全員書いてあげるようですよと言って進言してくれました。私は、直ちに断りました。その後、もうあなた一人ですよ、断っているのは、と言って部下が再考を求めてきた時も断りました。大人げなかったかもしれません。私もその批判はされることを計算に入れていましたが、それでも断りました。私はあなた方を支援している、あなた方に寄り添っている。子供だからそういう表現方法しか取れなかったかもしれないけれど、私はその子にも言うだけの人になってほしくありませんでした。自分が良いことをしているのだから、全国の知事も協力してくれるのが当たり前だと思う人になってもらいたくなかったというのが私の反対理由です。心を寄り添わせることは第一歩。それを外に表すのもそれに次ぐ。しかし、家族や家を失って寒さで震えている人に対して、子供でも、思ったり、励ましの手紙を出すというだけではなくて、何か「実行」が出来ることはきっとあったはずです。
それが私の断った理由です。
紀州梅の郷救助隊ならこんな手紙を全国の知事に送り付けるより先に、救援物資と機材を車に積んで、真っ先に東北への道をたどっていたでしょう。「誰もやらなくてもやる」ために。