このところ多くの新しい経験をしました。5月29日には大阪・関西万博を見学に行きました。6月7日には急逝された岸本周平前和歌山県知事の和歌山県主催のお別れ会に参加してきました。そしていろいろ考える中で、青山繁晴参議院議員のYouTube「僕らの国会」で表記の言葉に出会いました。いつになく短く、まとめて記します。と思いましたが、やはり長くなりました。
万博は大盛況だったと思います。今までのいくつかの前職の縁で多くの万博に参加してきましたが、今度の万博はとても来場者に快い万博だと思いました。今回の大阪・関西万博には多くの思い出があります。私は関西広域連合の副連合長-連合長として、この万博にかける思いはとても強かったのですが、日本開催の決定までの間は、実は落選するのではないかとかなり危機感を持っていました。万博は国が代表するもので、IOCという民間人のネットワークで出来ているオリンピックとは違います。どこに決まるかは国の投票の結果です。国と国には同盟関係もあるし、貸し借りもあり、日本に投票してもらうには広い意味での外交力が問われます。当初そういうことがあまり分からない人たちから、楽観ムードが漂っていたことがありました。日本で人気のある自治体の長が外国に誘致運動に行ってセミナーなどで支持を取り付けようとしたら大いに盛り上がったなどという大本営発表がマスコミで流れていました。強力なライバルであったフランスがオリンピックに専念すると言って降りたので余計楽観ムードが広がりました。心配した私が政府内の担当省庁である経済産業省の責任者を訪ねると全く同意見でした。しかし彼は危機感を持って政府全体を動かしてくれたと思います。最後は日本の総力で大阪・関西万博が世界の支持を得たのです。
その後も多くの紆余曲折があったと思います。一時は政府与党から肝心の関西がよそ事のような顔をしていてちっとも熱心に頼みに来ないではないかというお叱りが聞こえてきたりしました。これはいかんと、関西広域連合長として、政府与党の関連会合の機会には必ず出席して、関西の熱意を訴え、言うだけ番長ではいけないので、関西全体で関西パビリオンを作ろうよと連合内で提唱をし、実現に漕ぎ着けました。当初は消極的な仲間もいたのですが、せっかく大阪万博ではなく、大阪・関西万博にしてくれているのだからと言って連合内を説得しました。また、和歌山県でも大いにムードを盛り上げようとしました。万博の賛同者に名乗りを上げた人や企業の数は大阪に次ぎ、どちらかは絶対数でも東京を上回る結果となりました。機運醸成のための万博セミナーなどもどんどんやりました。
しかし、正直に言って、色々なところのエンジンがかかるのが遅く、不都合が起こったら、全部万博事務局のせいにされた時期もあったと思います。私の経済産業省同期の石毛事務総長など、本人の科ではないあらゆる不首尾の原因を全部押し付けられて本当に気の毒でした。あまり気の毒なので、憂さ晴らしだと大阪まで出かけて行って万博職員おすすめの店でお慰めしたこともあります。
しかし、万博は大成功です。そうなると、今までけなしてばかりいた人達も手のひら返しです。批判的なことばかり報じていたマスコミがお神輿担ぎ番組や記事を書いてくれるようになっています。「オリンピックは参加することに意義がある」という名文句がありましたが、日本人は参加する人々です。何十年に一回というイベントには一度は行きたくなります。アジアの人も同様でしょう。今はインバウンド華やかなりし時代ですから日本に来た旅行者の何割かが、たまたま開催している万博にも行ってみるかと思った瞬間に入場者は増えて、万博の成功は確実になります。関西パビリオンも大盛況で、関西広域連合の各委員、すなわち各知事市長の方々も、もっとお客さんに入ってもらえと檄を飛ばしておられるようです。
言い出しっぺの関西パビリオンだけは一度は見てみたいというのが今回の訪問の目的でしたが、石毛事務総長にできればお祝いを言いに訪問したいと言ったものですから、博覧会協会のスタッフがお世話くださり、おかげで極めて効率よく多くの展示を拝見することが出来ました。ありがとうございました。印象に残ったのを申し上げますと、大阪館がよかったと思います。米国館も迫力がありました。何が受けたかと言うと、エンタメ性です。ここは万博会場で、参加することに意義があるという気持ちで訪れたお客さんに楽しんでもらいながら、メッセージを訴えるということが受けるのだと思います。関西館も結構受けていました。ただ、その中で和歌山ブースだけ人が群がっていないのが残念でした。とても優秀なデザイナーである東大先端研の吉本さんがデザインした会場はそのまま美術館などにもっていっても通用するものなのですが。私は万博にお越しになるお客さんの性向を見越して、和歌山の観光地をバーチャルに味わってもらえるようなエンタメを作ろうと構想して(例えばVRで那智の滝を目の前に見せてついでにミストで滝のしぶきを感じてもらえるといった)、そのために関西で一番広いブースを取っていたのですが、私が知事を辞めてからそれが否定されて高尚なものに変わったようです。すべての各県ブースを見てきましたが、私の当初構想に近いようなエンタメで観光PRと言った県のブースが、芸術性ではいささか劣ってもお客さんが列をなしているのが少し皮肉でした。
それでも、万博は一度は参加しようという人でこれからも盛況だと思いますから、その中で今まであまり人が入らなかったパビリオンやブースも人が入るはずです。万博に一度もまだ参加していない人はぜひ一度は行ってみましょう。
6月7日の岸本周平前知事のお別れ会は盛況でした。多くの人が心のこもったお別れの言葉をかけ、献花を行い、澤和樹先生や宮下直子さんの名演奏を聴きながら岸本前知事のことを参加者全員が心の中で思い出しました。奥様のお礼の言葉は特に心が痛みました。多くの人も悲しいけれど、一番悲しいのは奥様であろうと思います。そして一番残念なのは岸本さんご本人だろうと思います。
いまさら言っても仕方がないことですし、言うこと自体が適当ではないという気もしますが、それでも私は岸本さんがどうして助けをもっと多くの人に求めなかったかと残念に思ってしまいます。岸本さんが事実上お命をなくされたのは私が16年間住んでいた知事公舎です。今でも間取りなどは鮮明に思い出せます。非常ボタンなどはいっぱいあります。もしもの時に押せるようにです。随行秘書がいつでも駆けつけてくれる体制になっているし、和歌山県は職員全員で知事を大事にしてくれる所です。岸本さんはおそらく少し前から体調が悪くて苦しかったのだろうと想像します。気の毒でしようがありません。それも岸本さんが志した政治家のなせるわざでしょうか。
もちろん、和歌山県は永久に不滅です。宮崎泉新知事以下皆さんで県政はしっかりされると思います。私もお求めがあれば経験などはお話しすることにはやぶさかではありません。しかし、その和歌山県には、政治家たることに殉じた岸本前知事はいなくなってしまいました。
その思いにふけっている時に、青山繁晴さんがYouTubeで「青山繁晴は肺がん」と言う配信をしているのを見て飛び上がりました。すぐ見てみると、そうでない可能性も高いが、様子を見て秋にでも再度検査をと言うのが結論でしたが、すべて詳細に説明されていました。やれやれと言うか心配というかその両方です。私には青山さんはその人柄やご発言に共鳴することが多く、メタンハイドレードにおける同志であることもあって、個人的にも和歌山県に関してもずいぶんお世話になった方ですが、参議院議員として政治家としての活動にも目を見張らせるものがあり、最近ではなんと、隣県大阪府の自由民主党県連会長になられて頑張っておられます。その方ががん!と言うのはショッキングな話で、青山さん自身が語っておられるように多くの方々に動揺を与えたものと思います。私の経験では、政治家は自身の病気や体調のことはめったに明らかにしません。隠すと言ったほうがいいかもしれません。選挙で選ばれている政治家にとって、あの人はもうだめかもしれないと思われることは選挙で大きなマイナスになると考えるからでしょうか。しかし、青山さんは自ら語りました。現時点での結論を語るだけではなく、ひょっとしたら肺に転移がんがあるかもしれないという疑いを持った時の思いなども含め、実に詳細にご自身の体のことを説明されました。そして、それはなぜですか、政治家は自身が病気であっても隠すことが多いと思うのですがという問いに対しては、「自分は旧来の政治家像を破ろうと思っている。そのために、これからの政治家は自身の健康状態も言うべきだと思っている」と言われるのです。
私は素晴らしいことだと思います。政治家は選挙民の支持によってその地位にあります。だから当選するためには弱みを見せてはいけない。とりわけ体調面の弱みなどもってのほかだ。そう思う政治家が、私は、圧倒的に多いと思います。でも考えてみたら、ある意味、その政治家は選挙民をだましていることにならないか、健康に不都合を抱えながらそんなことはないと言ったり、そこまでは行かなくても健康上の問題は秘匿に努めるというのはその政治家の真実を選挙民にまげて伝えることによって当選を勝ち得ているということなのではないかと私は思います。それを考えると、あの元気いっぱいの青山さんが自身の体にがんがあるかもしれないということを隠さずにオープンにしたということは、いかにも誠実に真実を追求してきた青山さんらしくて、私はとても共感を覚えました。確かにこれが新しい政治家像かもしれない。選挙民だってそのように病気を抱えつつ頑張ってくれている政治家に心惹かれるのではないか、共感を感じてもらえる政治家とはそういうものではないかと私は思いました。
思い出せば、私は知事の一期目の終わりころに前立腺がんにかかっていることが分かりました。PSAと言う検査値がだんだん高くなり、要検査水準になったので、検査をしていただいたところ、前立腺にがんがあることが分かったのです。もちろん全く自覚症状はありません。不都合は全く感じなかったのですが。尊敬する主治医の先生は、「このがんは進行が遅いので、これから10年以内に何らかの治療をしていただければいいので、そう心配をする必要はありません。でも、10年を超えると、場合により骨に転移して、不治の病になりますので、10年以内に何らかの治療をして下さい」とおっしゃるのです。でも気の短い私は、自分の体内に「悪性腫瘍」と言う異物がいるということは許さんと考えて、先生に、手術ですぐに切り取ってくださいとお願いしました。そして、その旨を直ちに公表しました。私は、青山さんのように高邁な哲学があってがんの手術を公表したわけではありません。ただ、黙っているのは卑怯のような気がして、県庁の広報に命じてその旨を公表してから病院に入りました。もう数か月で知事選挙という時期です。もちろん先生の腕は確かで、すぐに病院から退院でき、その後すぐに行われた選挙を経てその後12年間も知事の仕事を続けさせていただきました。(ただ、手術後はそれまでは何の自覚症状もなかったのに、あちこち体の具合が悪くなり、あんなに急いで切ってくれと言わないでもよかったなあと思ったものでした。もっともそのおかげで今も生きてはおりますが。)私は、繰り返しになりますが、そんなに高邁な理想に燃えて病気を公表したわけではありませんが、結果としては、青山さんが意識して唱えた「旧来の政治家像を破って」いたのだなあと思って少しうれしくなりました。