ただいま世のニュースは自民党と立憲民主党のトップを決める選挙の話で持ちきりです。特に自民党は政権党ですから、そのトップである総裁は内閣総理大臣になると言うことを当然の前提といたしますし、いつもの総裁選と違い多くの有力者が候補に名乗りを上げている前代未聞の総裁選になっているので、世の関心は特に強いようです。そういう意味ではただの政党の中の話ではなくて、これからの総理を選ぶ総裁選ですから、「公」の色合いが強いわけで、そうなると、マスコミの報道にも公平性が特に求められます。しかしながら、最近の新聞、テレビの報道を見ていると、この「公平性」が守られていないような気がします。自民党の総裁選の候補者が出馬宣言をする度に大新聞などは大きく報じますが、各候補者ごとの報じ方は、紙面の作り方を見ても随分違うなあと思うのが一点です。世論調査で誰々が一番と言った記事を書くのはそれが新聞社の調査と言う事実に基づくものですから文句の付けようがありませんが、それぞれの候補が出馬会見を開いた時、その扱いを変えるのは、私はどうかと思います。これから選挙がある時に、自民党で言うと、選挙人たる国会議員には比較的候補者の情報があると思われますが、それでも、新聞の扱いで投票先が左右されることがありそうですし、ましてや、地域票というのは日頃候補者にそう接しているとは思われない地域の方々が投票するのですから、大新聞のこのようなウエイトの置き方で投票行動が左右される恐れがあります。
もっとひどいのは、とっくの昔に総裁選に出るのだと宣言している青山繁晴参議院議員を候補者の一人として扱わないマスコミがほとんどであるということです。青山議員はもう何ヶ月、いや何年も前から総裁選挙に立候補すると公言しているのですから、総裁選の候補者について報道する時は、他の候補者と同じようにちゃんと候補者として紹介すべきであります。青山議員の「立候補公言」がネットでなされただけだから、正式のものとは見なさないのだという反論があるかも知れませんが、ネットですら公言もしていない候補者に、囲み取材をして候補者たることを検討しますと言わせた候補者はリストに入れているわけですから、ネットが気に入らないというのであれば、あらためて囲み取材にでも行って本人に確かめてからリストに入れるべきです。また、どうせ本人が言っているだけで推薦人も集まらないのが分かっているからと言う理由で青山議員の候補者リストからの除外の理由とするのであれば、リストに載せて堂々と報道をした候補者の内何人かは推薦人が集まらない可能性があると解説をしていることをどう説明するのでしょう。現に以前からマスコミによって紹介されていた候補者の一人が推薦人が集まらないので立候補を断念するという発表をしているではありませんか。また、青山議員は、自民党の中の日本の尊厳と国益をを護る会の代表をしている人で、その会には確か会員登録をしている人が何十人もいたはずですから、最終的にどうなるかは分かりませんが、総裁候補として青山議員を意味の無い泡沫候補だと見なしてリストから外したとしたら、それはあまりにも失礼であり、かつ不見識でしょう。
私がかく思うのは、私も選挙というものを被選挙人として経験した当事者であったからであります。私は知事選挙に4回出ましたし、国政選挙や地方の選挙を身近で何度も見聞しています。知事選に例を取ると、私は知事としてありとあらゆる公式行事を選挙の告示の直前まできちんとこなしていて、選挙にかこつけて怠けることはありませんでした。しかし、私の姿は普段なら和歌山のマスコミにはよく報じられるのに、選挙の半年ぐらい前からまったく報じられなくなってしまいます。イベントの模様などを報じた時、私もきちんとつとめを果たしているのに全くいなかったように扱われるのは理不尽だなあと思っていたのですが、それも、マスコミが選挙に加担しないで中立を保つためだと聞かされると黙らざるを得ませんでした。また、私の場合、3回目、4回目の選挙は、対抗馬はありましたが、その勝敗は100%の人が分かっていたと思います。でも、それぞれの候補の考える政策の紹介などは全ての候補者に同じ紙面を割り当てて行われます。私は行政のプロですから、そんなことは論理的に不可能だと分かっていることも、相手の候補が唱えればきちんと紹介されます。それも選挙に関する報道機関の公平性という観点からすると致し方ないかも知れません。
そういうのが報道の公平性だと思っていた我が身からすると、昨今の自民党総裁選の候補者紹介は、全くおかしいという感があります。私がかく言うのは私が青山議員を支持しているからではありません。実は同じような感覚を先日行われた東京都知事選挙に関する報道で感じました。あの選挙もものすごい数の立候補者があり、いくら何でも和歌山県知事選挙のような形で全員を平等に扱うことは事実上不可能であったと言うことは私もそう思います。しかし、「有力4候補」として、特定の4人だけを露骨に毎日毎日特別に扱うのはいかがなものかと思いました。
青山議員は、和歌山県も大いに御世話になった恩人であります。和歌山県沖にあると思われる表層型のメタンハイドレードに関して、それを魚群探知機により探査する方法を青山議員の奥様の青山千春博士が発見したので、和歌山県では青山千春博士にお願いして和歌山県の漁業探査船を使って、うんと安い費用で、どこにメタンハイドレードがあるか調査をしています。メタンハイドレードはいずれ開発技術が確立し、実際の採取が商業的に進むと思われますが、その際賦存が判明しているところは真っ先に投資の対象になるものと踏んで、何十年か先の和歌山県発展の種を蒔いたのですが、それも青山議員ご夫妻の協力がなかったらかなわなかったことだと思います。それ以来私はご夫妻と親交を深め、人間的魅力に富む青山繁治さんにお願いして、彼が議員になる前から和歌山県の若手の人材養成のためにこしらえた「わかやま塾」の講師としてお話をして頂きました。その中身は大変情熱的に人の生きる道と国の生き方を説くもので、私も大いに感銘を受けましたし、若い方々も私以上に感動して、その後の人生の指針としている人が何人も出来ました。一例を挙げると、私は青山さんのお話に感動して、沖縄の白梅の塔(ひめゆりの塔ではありません。)にお参りに行った一人です。そういう方ですから、自民党の中でも影響力はあり、前述の「護る会」など志を同じくする人も大勢いるように思います。また、自民党に対する貢献も党員獲得数でこのところずっと第一位という方ですから、決して泡沫候補ではありません。万一推薦人が確保できなかったとしても有力な候補者であることは疑う余地はありません。
ならばなぜ、世のマスコミは青山議員を自民党総裁選候補者から落とし、無視するのでしょう。明らかに、青山議員の政治家としてのあり方に反対だからとしか思えません。国民一人一人がどう思おうとそれは自由です。しかし、マスコミがこぞってそのために総裁選立候補の事実を報道対象から抹消するという行為は、公平であるべき報道機関がやってはいけないことであります。マスコミによるあからさまな世論誘導です。青山議員は世の中では俗な言葉で言うと「右より」の方なのでしょう。しかし、その人となりは決してファナティックな方ではありませんし、外交、防衛のみならず、エネルギー、経済など十分に広い見識をお持ちであることは私はよく知っています。右寄りであるからといって排除するというのであれば、あくまでも公平であるべきであり、客観的に真実を追究すべきであるというジャーナリズム精神の本旨に反します。おそらく今の報道機関に属するジャーナリストがもっともいけないことと思っていることは、戦前の報道機関が政府ないし軍部の言うままに真実でない情報を国民に流し続け、世論を誘導したことでしょう。しかし、青山議員の自民党総裁選立候補の事実を客観的に報じない態度は、それと同じことだとは思われないでしょうか。戦前の軍部の代わりに、ジャーナリスト自身があの議員は好ましくないから立候補という事実も隠してしまおうとしたら、それは主導者が替わるだけで、戦前のあの真実を国民に伝えなかった「大本営発表」と同じではないでしょうか。
この間かねて購入していた浅田次郎さんの「天子蒙塵」を読みました。今に繋がる話として感慨深かったのは、宣統帝溥儀の第2夫人の離婚騒動を、第2夫人側が各国報道機関の前で公表しているのに、日本の各紙だけが一切これを報道しなかったという下りです。溥儀を満州国の傀儡皇帝に祭り上げようとしていた軍部が、そのスキャンダルはことの成就に障害となると考えて日本の各報道機関に圧力をかけたためとされていました。青山議員の総裁選立候補という事実の無視、報道からのオミットは、そうせよと決めたのが、戦前の軍部か、青山議員は危険人物だからそんな人の行動は皆で無視しようと一斉に行動するジャーナリストの有力者達か、の違いはあったとしても、マスコミが本来追究すべき「真実」からかけ離れた行為であることには変わりはないと私は思います。