詐欺行為の横行②(全2回)

前回からの続きです。(全2回中の②)

 むかしも悪い人はいて、人をだましたり、陥れたりすることもあったように思いますが、大部分の人はまっとうに働いて生を送っていたように思います。貧しい人も今よりもっと沢山いたけれど、悪事に染まる人はそういなかったのではないでしょうか。それが昔よりももっと食うに困らなくなった現代に何故このような詐欺が横行することになってしまったのでしょうか。

 私が考えるのに、3つぐらい原因があるように思います。

 その一は、貧富の差だと思います。「人は足らざるを憂えず、等しからざるを憂う」です。現在、今風の成功者はとてつもないお金を持っているように見えます。もちろん昔もそういう大金持ちはいましたが、何らかの原因で先祖伝来のお金持ちか、立志伝中の人のように、若いころから貧乏に耐えながら必死に働いて長い時間をかけて今の地位を築き上げた人か、組織の中でだんだんと昇進してついに高い所得を上げるようになった人かでしょう。しかし、今は才能があれば、うまくスピンオフを遂げながら、個人で大層な所得をあっという間に上げる人がいます。また、そのような賢そうなスマートな人がいっぱい集まったオフィスも東京の都心などにはあります。一方では、今食うに困るかというとそうでもないけれど、今の仕事を続けていてもお金をたくさん持っている人のようになれそうもない、その展望が皆無という状態の人が結構いるというのが現状でしょう。私も覚えていますが、90年代に日本経済が危機を迎え、これを突破するために、金融でも,ITでもなんでも機会を増やすために規制を取り払い、それまで東京一極集中を防止していた制度も取り外した時期がありました。労働法制も緩めて、解雇を容易にできるようにし、かつさまざまの雇用形態を可能にして、とにかく企業に日本における事業を続けてもらうように制度改革をした時代がありました。そういった形で成功者を出して、あとはトリクルダウンで多くの人達にも富が回るようにしようと考えていたと思います。しかし、実際には、自らの才覚で成功を収めた若くて羽振りの良い成功者が沢山、特に東京など大都会に現れた一方、将来に展望がない人々がいっぱい取り残されて、トリクルダウンは起こらなかったというのが現実のように思えます。取り残されたほうは、まじめに働いていればいつかは自分もいい身分になれるという展望がなくて、どうせ自分はあいつら成功者のようにはなれないと思ってしまっているような気がします。この「どうせ自分たちは」という気持ちが、詐欺グループに嵌まってしまう温床になっているのではないかと思います。

 第二は,通信機器などIT技術の発展です。匿名性の高い情報発信が簡単にできるし、どこかで入手した個人情報などを活用して、効率よく「かも」の所にたどり着けるように思いますし、ATMなどだれでも利用できる装置も町にふんだんにあるし、若者をだますにはネットの媒体がいくらでも利用できます。それに情報化の進展についていけなくなっているお年寄りはいっぱいいて、そういう人はまっとうな情報にもついていきにくくなっていますから、そこへかかってきた詐欺の電話と、まっとうな情報の区別がつきにくくなっているのではないでしょうか。したがって、情報化社会は一面、詐欺の温床だとも言えます。

 第三は、道徳観の喪失でしょうか。悪いことをするとお天道様が見ているぞ、お年寄りなど弱いものをだますのは悪いことだ、正直に生きるのが快いものだ、人にやさしくするのはいいことだ、人をだますのは絶対にいけないことだ、嘘つきは背中に松の木が生えるぞ・・・などという教えはおそらく昔ほど子供たちに教えられなくなっていると思います。それは学校教育で道徳教育が軽んじられたことが大きいと思います。軽んじられたというよりも教えるのを躊躇したと言ってもいいでしょう。われわれの親の世代はいやというほど学校で「修身」を教わりました。それが愛国教育の行き過ぎで、軍国主義への絶対的帰依に染まり始め、多くの若者を戦争に駆り立てたという思いを多くの教育関係者が抱いたと思います。それが道徳教育を学校で行うことへの躊躇につながったと思うのです。それでも私たちの世代は、修身教育を受けた親たちから、道徳、または人の道を結構教えられました。ところが今度は、我々の世代がそれを次の世代に教えることなく、同時に学校でも道徳を教えることなく、若者を世に送り出してしまいました。もちろん日本の中に脈々と生き続ける道徳的、人道的要素は多くの若者に多大の影響を及ぼしています。今でも、世界中で、日本企業の商道徳は賞賛されています。また、スポーツの世界では選手の態度や発言からも、立派だなあと思うことしばしでありますし、多くのスポーツ大会で日本サポーターの立派な行いが世界中で賞賛されていることは誇らしいことであります。私も知事をしている時に、和歌山の高校生や大学生の多くに接して、自分はこんなにしっかりと立派なことを人前で言えただろうかと思うことが沢山ありました。また、知事を辞めてからも、色々なところで大変立派な学生さんや若者に接することがありました。こういう人に日本を任せておいたら安心だなあと思ったものです。しかし、そういった人が「発生」するのはある限られた条件下であって、多くの若者が、道徳、お行儀、人の道を教えられることなく、体だけが大きくなっているのではないかと思うことが多々あります。電車の中で若者同士の会話を聞いていると時々そう思います。そういう若者は、詐欺に加担して一攫千金をという誘い話が来たら、すぐに飛びついてしまうのではないでしょうか。すべての若者に道徳、人の道という「ワクチン」を打っておかなければいけないと思います。
 私は、和歌山県知事の時、道徳教育をすべての小中高等学校で義務付けました。教育界に道徳教育に対する懸念があり、躊躇する気持ちが強くて、国、文部科学省も必修という踏ん切りがまだ付かなかった時です。教科書もなくて、参考教材が文部科学省から推薦されていました。見てみましたが、何事も話し合えばかり、メッセージもやたらとあいまいで、人の道をきちんと教えようという熱意は感じられませんでした。そこで、和歌山県は、教育委員会の諸君に協力してもらって、私自身も入念に目を通して意見も言って、独自の教科書を作りました。小学校高学年用と中学校用です。道徳教育に関する教育界の雰囲気は前に述べたようでしたから、私の考えは教育界の少なくとも一部からは強い反対が出るかなと思っていましたが、私はそれでも実施する覚悟を決めていて、その考えを多くの場で県民の方々に述べていました。ところが実際にこの政策が発動されるや、全くと言ってよいほど、教育界からもどこからも反対はありませんでした。どうも文部科学省の意識が最も遅れていたのかもしれません。その後道徳教育は全国的に義務化されたと理解しています。
 私は知事になる前は、経済産業省の人間で、経済、産業活動の方面の人ですから、日本企業の持つ道徳性が、いかに世界中から評価されているかについて多くの実体験があります。また、そのように日本企業が思われていることによって、ビジネス遂行上得をしたということも多々あったと思います。日本社会における道徳性が、企業活動から見た場合、余計な出費を省略できる基盤になっていると私は思います。周りが皆嘘つきで、油断が出来ないことばかりだと、騙されることを回避するために投じなければならないコストは馬鹿にならないでしょう。騙されることを防ぐために頭を使うより、ビジネスのサブスタンスに頭を専念させたほうがいい結果が出るに決まっています。
 最近の詐欺電話の横行はこのような日本社会の効率性を破壊することにもつながりかねない由々しき事態だと思います。

 こういう悪事から被害者を出さないように、警察の方々はこのような犯罪にはぜひぜひ厳しく対処していただきたいと思います。加えて、日本全体で、この詐欺電話の横行の背景になっている若者の間の貧富の差を解消する方向に舵を切って、若者が「いつかは自分も」と生業に励むことに希望を持てるような社会を実現することが待たれます。また、道徳教育を徹底して、正しい人の道をすべての若者に教え込むような政策を追求していただきたいと思います。